「2度未満、できれば1・5度」「排出を実質ゼロに」の本気度
2015年12月16日
温暖化対策の新しい枠組み「パリ協定」の内容には驚いた。ポイントは「気温上昇は2度を十分下回るようにする」であり、そのためには「今世紀後半に温室効果ガスの人為的な排出と吸収の均衡を達成できるよう、迅速な削減をめざす」としている。
「2度未満」は過去の国際会議の宣言などに何度も出てきている。一方「排出と吸収の均衡」は「実質的な排出ゼロ」のことであり、IPCCの第5次評価報告書などにでている。
ただ、これらは「ほら話」「夢物語」とまではいわないものの、一般には「できればいいね、でも難しいね」という類のものとして認識されていた。実現可能性といえば「まだ、とても」だった。
こうしたハードルの高い目標内容が法的拘束力のあるパリ協定に堂々と書かれた。それに驚く。
似たものとして「日本は2050年までに温室効果ガスの排出を80%減らす」という目標がある。6%削減でも「不平等条約だ」と反発し続けた日本政府や産業界が「本気」で考えていたわけではないだろう。
しかし、今後はこうした長期的で非常に高い目標で世界の議論と対策が動き始めるかもしれない。
COP21は会議の開始早々から議事が着実に積み重ねられていた。それでも最終日、フランスのファビウス外相が最終合意案の概要を話す映像を東京で見ていて、「えっ」と驚いた。
「世界の平均気温の上昇幅は2度を十分に下回るようにする」とし、続いて「1・5度に向け努力」の趣旨をいったからだ。「1・5度にも言及するのか!」が率直な気持ちだった。
気温はすでに産業革命以後に1度近く上昇している。2度でも1・5度でも「残りスペース」は少ない。達成するには「今世紀の後半に排出の実質ゼロ」が必要になる。
「2度、1・5度」と「実質ゼロ」は同じような意味合いだが、多くの人は「実質ゼロ」に驚いたのではないか。「2度に抑えよう」といっても負担がどの程度になるかピンとこないが、「実質ゼロ」となればCO2を地下に封入するCCSなども大々的に使わなければならないとなり、とんでもない難しさがイメージできる。
地球環境問題を長く取材しているが、よくここまで来たなと感じる。
地球環境問題が主要な国際政治課題になったのは1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)からだ。
このときは環境問題というソフトなテーマに100を超える国の首脳が集まったことが驚きだった。会場では「温暖化が世界の危機」というよりも、冷戦が終わった安堵感、高揚感のような雰囲気を強く感じた。
1997年の京都議定書採択のころ、世界の温室効果ガス排出は右肩上がりだった。排出削減を義務にする国際約束ができたこと自体に感動した。議定書は「最初の一歩」であり、第1期の削減数字は小さいものだった。
今回のパリ協定は「本気で温暖化を抑制しよう」という長期の視点でつくられている。気候変動枠組み条約の2条にはその究極の目的として「危険でない水準で大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させる」とあるが、その条約にも京都議定書にも具体的に何を目指すかは書かれていない。パリ協定は「2度、1・5度」が長期的にめざすべき目標であることを示した。
なぜこんな画期的な協定ができたのか。フランスの巧みな議事運営があった、米国と中国も大国としての振る舞いをした、などはその通りだろう。
しかし、私は「時代が変わった」のが一番大きいと思う。最大の変化は自然エネルギーの激増である。
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