COP21パリ協定は、社会と産業のデザインを改めるかどうかを私たちに迫る
2016年01月07日
地球温暖化は、工場から出る有毒物質が空や海や川を汚し、人々の健康をむしばむ公害とは様相を異にする。一企業対近隣住民の対立構図に収まらないからだ。元凶物質のCO₂は濃度が高ければ中毒を起こすが、温暖化を引き起こすのはそのレベルよりもずっと低い。私たちが日々呼気として吐き出している気体の大気濃度が、工業や交通、空調など人々の営みによってわずかにふえていることが問題なのだ。それは、10年間に20ppmほどのペース。自然界の微妙なバランス喪失に現代社会の総体がかかわり、人類全体が被害をこうむる。だから、この災いを避けるために世界がまとまることの意味は大きい。
だが、ここであえて言いことがある。もし脱温暖化と脱原発が秤(はかり)にかけられ、その一方をとるよう迫られるとしたら、後者を選ぶということだ。日本政府の見積もりを信じるなら、私たちはいまその選択に直面していることになる。
政府の地球温暖化対策推進本部は、COP21に先立って去年7月、日本が2020年から30年にかけて取り組む温室効果ガス削減の「約束草案」をまとめている。それによると、2030年度の排出は、2005年度に比べてマイナス25.4%、2013年度と比べればマイナス26.0%をめざすという。この目標の土台となっているのは、世界の専門家が集った「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が2014年に出した統合報告書だ。地球の気温上昇を工業化前に対して2度未満に抑えるため、世界全体の温室効果ガス排出を2050年に半減するという道筋に合わせているという。
問題は「草案」で、2030年度の「2005年度比25.4%減、2013年度比26.0%減」について「エネルギーミックスと整合的なものとなるよう、技術的制約、コスト面の課題などを十分に考慮した裏付けのある対策・施策や技術の積み上げによる実現可能な削減目標」としていることだ。もって回った言い方だが、現政権の原発政策に沿って原発を動かすことを前提に、技術面、コスト面でも現実的に見積もった、ということだろう。
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