京都議定書からパリ協定までとこれから
2016年01月01日
「時代なんか、パッと変わる」
昨年末の国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)。議長のファビウス仏外相が「パリ協定」の採択を知らせるガベル(木づち)を振り下ろすのを見て、かつてサントリーウイスキーの広告にあった名コピーを思い出していた。コピーライターの巨匠、秋山晶氏の1984年の作品だ。
「21世紀に間に合いました」
1997年12月に京都で開かれたCOP3の取材を担当した。世界初の量産ハイブリッド車、トヨタの「プリウス」は、京都会議に合わせて売り出された。その時のCMのコピーだ。発売の翌日、京都議定書が採択される木づちの音を聞いて、「世界は変わるかもしれない」と期待した。京都議定書は、世界が温暖化の科学の声を聞き入れ、先進国が率先して欲望を抑える「痛みを分かち合う」制度と受け止められた。「倫理」のために、人類は欲望を抑えられるのではないかと思ったのだ。
だが、米国は参加せず、1期目の途中でカナダが抜け、2期からは日本やロシア、ニュージーランドも抜けた。世界最大の排出国となった中国や3位になったインドは、途上国扱いなので、もともと温室効果ガスの削減義務がなかった。経済成長は「善」であり、そのために二酸化炭素(CO₂)の排出量が増えるのは当然と思われてきたからだ。「科学」や「倫理」で世界を変えることの難しさを思い知らされた。いまから思えば、私も随分とナイーブだった。
京都会議からパリ協定まで18年。この間に温暖化の脅威は現実的なものとなった。大気中のCO₂濃度は増え続け、400ppmを超えた。産業革命からの気温上昇も約1度になった。洪水や干ばつなどの異常気象が頻発し、多くの人が海岸浸食で国土を失い、移住を余儀なくされている。気象災害で亡くなる人や気象関連の保険支払額も増え続けている。パリ協定で合意した気温上昇を1.5度や、2度未満に収めようという目標も、18年前ならもっと難しくなく実現できたのではないかと思う。
だが、悲観することばかりではない。
「我々がビジネスに合図を送れば、数千億㌦が世界に展開される」
COP21の序盤の首脳会議に乗り込んだオバマ大統領は、こう呼びかけた。「我々が正しいルールやインセンティブをつくれば、最高の科学者や技術者、起業家の創造的な力を解放し、彼らが作り出すクリーンエネルギー技術や新しい雇用、機会が世界中に展開される。さあ合図を送ろう」
パリ協定が採択された12月12日には、米ホワイトハウスはただちに「合意は、ここ数年のエネルギー関連の投資を相当拡大することになるだろう」との声明を発表した。
COP21のビジネス界のブースでは、その日、深夜まで喜びの乾杯が繰り返された。欧米の経済界からは歓迎のツイートが相次いだ。会議場では、島国や最貧国はもちろん、中国やインド、COP15では抵抗勢力だった中南米のグループからも、歓迎の声明が相次いだ。妥協の産物である国際合意が、これだけ多くの人たちから歓迎されるのは珍しい。世界が合意を待ち望んでいたことがよく分かる。
世界はとっくに変わっていたのだ。
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