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[2]科学者討論@北海道大学

科学者は「監」られている――若手研究者が語る大学の現在

秋山正和 片瀬貴義 相馬雅代 石村源生 大津珠子 津田一郎 中垣俊之 尾関章

 大学の風景が変わった。研究者は世の中に還元される業績を求められ、役に立つことがわかりやすく見える成果が歓迎されている。研究費の獲得競争は激しくなり、納税者の目も無視できなくなった。倫理面でも経理面でも厳しい目にさらされている。文系学部の見直しをめぐる議論も、こんな流れを映していると言えよう。科学が監(み)られる時代。監られる側にいる若手研究者が、先輩科学者や科学コミュニケーションの専門家らと大学の今を語り合った。

《発言者》
秋山正和(北大電子科学研究所助教 応用数学・数理生物学)
片瀬貴義(北大電子科学研究所助教 材料科学・酸化物エレクトロニクス)
相馬雅代(北大理学研究院生物科学部門准教授 動物行動学)
石村源生(北大CoSTEP准教授 科学技術コミュニケーション・対話の場のデザイン)
大津珠子(北大CoSTEP特任准教授 科学技術コミュニケーション・グラフィックデザイン)
津田一郎(北大理学研究院数学部門教授 応用数学・複雑系科学)
中垣俊之(北大電子科学研究所附属社会創造数学研究センター教授 物理エソロジー)
尾関章(科学ジャーナリスト・北大電子科学研究所客員教授)

・2015年6月10日に北大構内で討論、採録原稿をもとに発言者が加筆修正した
・CoSTEPは北大高等教育推進機構に属する科学技術コミュニケーション教育研究部門

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尾関 だいぶ話が、組織、資金のほうに入りましたけれども、今日のもう1つの大きなテーマが、石村さんの問題提起されているアウトリーチなんですね。実を言うと、前回の討論でも、このアウトリーチ問題が一つの大きなテーマだったんです。その意味でいうと、みなさんはまさにアウトリーチ世代だろうと思うんですね。最初からそういう概念が頭のどこかにあるんじゃないでしょうか。
 まず研究費獲得のために、やっぱり何らかのアピールが必要だねというようなことは、みなさんはお感じになっていらっしゃいますか。

秋山 アピールというのは。

尾関 たとえば、新しい材料の開発はいろいろなかたちで世の中に役立ちますよね、ということを社会に向かって言っていけば、当然いろいろなお役人だとか、政治家だとかがそれに関心をもち、予算が付き……という流れになって、結局は研究費に跳ね返ってくる。そういう一つの回路があると思うんですけれども、そのアピール。

相馬 たぶんこれ、どのぐらいの研究費が必要な研究をしているかということにもよると思うんですけれども、私はものすごく莫大な研究費は必要ないし、正直、研究費が切れてしまっても研究していける自信はあります。

尾関 なるほど(笑)。

どれだけ報道されたかという評価も

相馬雅代さん拡大相馬雅代さん
相馬 はい。ですが、ある程度はほしいし、そのほうがいいと思うんですけど、すごく、どっちかというと古典的な分野ですので、最先端なものが必ずしもなくてもいいという場合には、それほどアピールの必要は感じないんですね。実際のところ、たぶん科研費を書くときに、自分の研究が過去にどれくらい報道されたとか、アウトリーチしたかというのは、あんまり書く欄がなかった気がするんですよ。なので、そこがダイレクトに評価されるかどうかというのはわかりません。
 ただ、私はこの春、文部科学大臣表彰若手科学者賞とかいうのをいただいたんですけれども、その応募用紙には、どれだけ自分の研究が報道されたかというのを書かなきゃいけなくて、全部記事もコピーして出すみたいなことがありました。だから、国からそこが評価されることがあるのかなというのは少し感じています。

尾関 なんで、そんなことで評価されるんだろうという疑問は感じなかった? 新聞記事に何本出たというような話で。

相馬 たぶん、科学がいかに社会に還元していけているかということが、なにかのテクノロジーにつながっているといったことでない場合には、一般の人の知にどれだけつながっているかという意味で評価されているんだろうと思ったんですよ。

尾関 なるほど。ほかの方はだいぶ違うと思いますが。

研究費狙いのアピールは話が逆

秋山正和さん拡大秋山正和さん
秋山 結局、社会全体を考えたときに、得意な人が得意なことをして周り全体がそれを支えるようなしくみは必要だと思うんですよ。僕は数学とかコミュニケーションとかが好きだし、いろいろなことを解明したいと思っているので、それで代表として、地球人の代表として、やっているわけですよね。そういう意味でもちろん、研究に対しては真摯に取り組まにゃいかんし、説明責任もついて回ると思うんですけど、何か逆になっているんですよね、最近。
 どういうことかというと、僕も理系で数学だから、そこまでお金は要りません。もちろん人と対話するということになると、いっぱい出張したりするので、そういう意味では要りますけれど。だから、自分の研究を発展させるために研究費を取るのは重要だと思うんですけど、研究費をとるために自分の研究をアピールするというのは、ちょっとなにか目的が違うのかなと。
 もっと言うと、どれだけ研究費を取ったかとかいうのは、次の役職に就くときに重要になったりする。もちろん研究しているから研究費がついて、その研究費が人事面の評価でたぶん重要になるんだけど、それが逆になっちゃだめですよね。研究費をどれだけ取ったかみたいな感じになっちゃうと。
 研究費をたくさん取っている人の研究者人生がいいかというと、なにかすごくいろいろな仕事ばかりしていて、その人が研究できてないんじゃないかと思うようなことはよくあります。お金をもらう限り、説明責任はある。でも、逆になってはいけないというか。でも、なっている現状があるような。

尾関 研究費を取らんがために取るみたいなところで回っているということですか。

秋山 研究費を取ることが目的化している。

尾関 その場合、アウトリーチ活動みたいなものが、研究費を取るのに有効に作用しているんですかね。たとえば、アウトリーチとはいえないかもしれないけど、相馬さんがおっしゃっていたように新聞記事に何本出たとか、メディア露出度を高めるとかいうことが。

秋山 僕は審査する立場になったことがないので、アウトリーチ活動がどれだけ科研費の獲得に作用しているのかはわからないですけれど、少なくとも書けというページは1ページはあって、そこを白紙で提出する人はいない。だからやっぱり、書けることがあるなら小さい記事でも出たよと書くわけで、重要にはなっていると思いますけど。どのへんまでそういうのを見ているのかよくわからないですけれど。

片瀬 自分の場合は研究費がないと研究を進められないところがあって、研究するために、確実に科研費をとれるようにという努力はしているんですけど、そのときに留意しているのは……。

尾関 その努力というのは研究をいいものにするということですか。それとも、それだけではなくてアピールするということが入っているのですか。

論文発表、プレス発表、どっちも大事

片瀬貴義さん拡大片瀬貴義さん
片瀬 両方含んでいます。たとえば、大きな目標はここにあるとして、ここの段階までこの研究費でやりますという書き方にしていて、それを達成するとこうなるということを書いたりするんですけど、最高のかたちは、もちろん論文発表もしてプレス発表するのが一番大事で、それをやることでまた次につながるというイメージ。

尾関 そうすると、やっぱりプレス発表というのはかなり重要な。

片瀬 とても大事だと思っています。

尾関 つまり、論文発表だけではだめで、プレス発表ということですか。

片瀬 そうですね。プレス発表できるような内容でやっていかないとだめだと思っています。

尾関 その場合、プレス発表というのは新聞記事に載るか載らないかが一つの分かれ目だとすると、表題の選び方だとか、メディアが飛びつくような、食指を動かすような工夫というのはどうされているんですか。

片瀬 やはり読んですぐイメージがわくもの。最初の数行ぐらいで一般の方がわかるような書き方を工夫する。あと、絵ですよね。実際、論文に書いてある言葉とは全然違って世の中の人がイメージしやすいように柔らかく書くという工夫はしています。

尾関 苦労されているんだな。

片瀬 まったく別物を書くのに近い。

相馬 それって自分で書かれるんですね。

片瀬 はい。

相馬 北大の広報ってあんまり手伝ってくれないんだなと、私、思ったんですけど、そうでもないですか。
 ジャーナル(掲載論文誌)は、ものすごくやってくれたんですよ。全部プレスも用意してくれてという感じで。それはまあ、お金を取っているからそうだといえばそうなんですけど、全然違うと思いました、やっぱり商業ベースのところとは。

尾関 そういうのに抵抗を感じるということはありませんか、研究者として。むかしは広報スタッフがそもそもあまりかかわらなかったけれども、かかわるケースでは「言いたいことをちっとも伝えていない」とか「不正確だ」とか、研究者がいろいろ言ってきて、広報の人は悩んでいたように思うんです。いわゆるキャッチーな表現になっていくことに対して、抵抗を感じたことはないでしょうか。

自分から「どうだ!」はおこがましい

秋山 本来、われわれはもちろん、人に知らしめるためにやっているわけじゃなくて、自分としても楽しいとか、そういうことでやっているわけですから、本当は自分のやった研究がどうだって言うのは、ちょっとおこがましいんですよね(笑)。だから一番いいのは、研究者がちゃんと自分の研究をやっていて、それが世に発表できるレベルだったなら、北大などがサーチしていて「載せませんか」と。で、「じゃあ、載せましょう」というようなほうがいい。でも、アウトリーチ活動せよと科研費ではなっているので、1行でキャッチーなことも書きますけど……。

尾関 本来は違うなみたいな、違和感を持ちつつ?

秋山 もちろん人に知らしめるのは重要なんだけど、「どうだ!」みたいなのは、なにかちょっと。

尾関 必ずしも、どうだ、ばっかりじゃないですよね。わかりやすくするために単純化するということもある。相馬さんの分野は、あまり苦労せずにキャッチーなんだよね、そういう意味では。

相馬 はい、そうです。だから、プレスリリースが自分の思っていることとあまりにも違うことになってしまうという、そういう危惧はないです。私が「あっ、おもしろい」と思ったことを、たぶん聞いた方も、多少理解は違うにしても同じようにおもしろいと思っていただけるような話ではあるので、そんなに大変ではありません。
 でも、自分の言葉で語れる機会があるというのは、私にとってはとてもありがたい。というのは、私が報道の方と接した経験で一番多いのは、突然電話がかかってきて、自分はあんまり詳しくないんだけれどもコメントを求められるというパターンなんですね。そして、そのコメントは、もうすでにナレーションの流れが決まっていて、これを言ってほしいというのがあって、たとえば風力発電と鳥の関係についてはこう思いますよねというのを私に言わせたいんだなとわかるんですよ。そんなのと比べたら、自分の言いたいことを言って報道してもらうって、すごくありがたいです。

尾関 CoSTEPのお二人は今、プレス対応についての若い世代の感じ方を聞いて、どのようにお感じになりますか。

プロデューサーになる覚悟はあるか

石村源生さん拡大石村源生さん
石村 研究者がどんどんキャリアを積んでいって、たくさんの研究者が参加する大きなプロジェクトで中心的な役割を担うようになったとき、たぶん初めて研究者としての顔だけじゃなくて、プロデューサーとしての顔というんですかね、社会だとかメディアだとか、あるいは省庁に対してまた別の顔を見せなければいけないような、そういう状況が出てくるんじゃないかなと思うんです。
 そういう意味で、一研究者じゃなくてプロデューサーとして、アウトリーチ戦略だとか、さまざまなステークホルダーに対するコミュニケーション戦略だとかを立てていって研究のリソースを集め、それが回っていくようなマネジメントをしていかなければいけないということを、いますでに経験されているのか、あるいはそういう予感があるのか、そちらの方向へ進んでいきたいと思っているのか、逆にそれはちょっとごめんだというようなことをお感じになっているのか、ということをちょっと聞いてみたいですね。

尾関 つまり、大きな共同研究をやったりとか、大学や研究所の要職に就いたりとかいうことになると、当然、ご自身のマネージする領域でアウトリーチが必要になる。

石村 そうですね、ご自身の研究者のキャリアとして、今後そういった、より大きな人的リソースと、研究予算をマネジメントしてやっていこうということになったときには、アウトリーチに代表されるような、必ずしも研究者ではないような方々に研究を理解してもらって、いろいろ支援してもらうというような、プロデューサーとしての働きみたいなことをしていかないといけなくなるんじゃないかなというふうに推測するんですけれど、そういうキャリアについてどういう心構えでいらっしゃるのか。あるいはそういうことはあまり、実は遠慮したくて、一研究者としていろいろやっていかれたいというようなところがおありなのか、そのあたりをちょっとお聞きしてみたいですね。

尾関 いかがでしょう。なにか人事異動の希望を出しているような。

石村 いやいや、そういうことじゃないですけど(笑)。

尾関章さん拡大尾関章さん
尾関 今、石村さんがプロデューサーという言葉を使われたけれども、たとえば30年前、40年前に科学の世界ではプロデューサーという概念もなかったように思うんですね。ところが今日見てみると、たとえば、再生科学のSTAPも、ああいうネガティブなことになったけど、あの研究のリーダーは、ある意味であの新領域のプロデューサーだったわけですよね。あるいは、欧州合同原子核研究機関(CERN)の加速器でヒッグス粒子を見つけた研究でも、数千人規模の国際チームをマネージする仕事がリーダーの物理学者に求められました。
 そういう役も回ってくるんじゃないのということに対する、なにか予感とか覚悟とかございますか。科学をプロデュースするという発想を今からおもちかどうか。

世間の誤解を正すという社会的責任

相馬 そういうプロデューサーになるぐらいの大きな規模の資金とかプロジェクトを動かしたいというふうには、正直あんまり思っていないですね。なんでかというと、自分がやっぱり手を動かしていたいんですよ。ただ、私の指導教官を間近に見ていると、行動学というのはどうしても人間の世界と大きく結びついているので、なにか言わざるを得ないというのはすごく感じるんですね。
 どういうことかというと、生物現象的に正しいことは倫理的に正しいかというと、違うんですね。たとえば、よく言われるのは、人間は子供を残したいという本能があるから不倫してもいいんだ、みたいな言い方があるんですが、それははき違えていると。生物学的にそういう現象があるということと、人として倫理的に正しいのは別だというふうに、私は先生たちからすごく言われてきたんですね。そういうことはたぶん、私たちが言わないとわかってもらえないと思うんです。生物がとても誤解されている部分が行動学の場合にはあるので、自分から積極的になにかを立ちあげようという気はないですけれども、場をいただいたり、お声掛けしていただいたりしたら、そういう面で自分がなにか発信していくというのはとても大事だと思っています。

尾関 つまり、研究費獲得だとかいうことじゃなくて、津田さんがおっしゃっている社会的責任の一つのありようとして。

相馬 そうですね、そうだと思います。まあ、我慢ならないというのがあるんですけど。

石村 使命感みたいな。

相馬 使命感というよりは、あまりに生物学的な常識を誤解している人が多いんだと思います。

石村 たとえば、そういう方々のために、なにかこう非常にわかりやすい啓蒙書を書いてみたいとか、テレビ番組をもってみたいとかいうようなことは思われたりしますか。
 海外の超一流の研究者なんかだと、啓蒙書を書くことを片手間というよりは、ある種本気でやっていらっしゃるところがあるような気がします。日本でももちろんたくさんの方がいい本を書かれていますけど、どちらかというと、あまりそこまではエネルギーを割かないみたいなところがあるような気がしておりまして……。逆にそこにのめり込む方、たくさん本を出すような方は、研究者コミュニティのなかでは、あいつは研究をしてないみたいなふうに言われかねないような気もしていて。啓蒙書の役割というのはすごく重要だと私は思うんですけれども、日本ではちょっと、欧米に比べるとその重要性が若干軽視されているのかなという気もしないでもないんですが。

尾関 ちょっと石村さんにかみつくようで恐縮だけど、「啓蒙」という言葉は嫌いなんですね。啓蒙書というくくりをすることが、ちょっと違うような気がします。動物と人間の比較というのかな、相馬さんがさっき言われたことというのは、僕たちすべての人間がかなり考えなきゃいけない問題じゃないですか。動物が不倫しているなら人間もしていいのか、というような問題は。

相馬 そうです。

尾関 不倫してもいいということを言う人間にはそれなりのロジックがある。やっぱりそこをきちんと対話しないとだめなような気がします。その意味でも、僕はでも、外へ出ていくというか、解説書でもなんでも言い方はどうでもいいんだけれども、やっぱりそういう発信は大事だと思います。

石村 私は別に「啓蒙」という言葉に意味をもたせて啓蒙書と言ったんじゃないです。専門家として社会とコミュニケートする手段の一つとして、書籍の執筆のことを言ったんで、特別に「蒙を啓く」ということを強調したわけではありません。

尾関 世の中に向けた本というのは絶対大事だということですよね。たとえば、その不倫問題でいえば、たぶん文学者であるとか作家だとか、そういう人たちがそれなりにいろいろなことを言うでしょう。そこにはやっぱり聞くべきものもあるわけで、そこらへんを取り込みながら、科学の立場からはこういうことが言えるんだというのを出していくということが、一番理想かなと僕は思いますけどね。

相馬 ただ、科学はどうすべきかということはないんですよ。私たちは現象がどう正しいかということは言えますけど、倫理的に正しいということは言えない、絶対言えない。ただ起こっていることと、それが是とされるかというのは別なので、起こっていることをきちんと起こっていることだと思ってほしいなというふうに思うんです。
 もう一つ、やっぱりそういうことで大事だなと私は思っているのは、動物に対する倫理というのが、最近、イルカ追い込み漁問題とかいろいろありますけれども、それはやっぱり人間が動物の行動をどう理解するかということとすごく深くかかわってくると思うんですよ。

尾関 そうですね。水族館のイルカショー花盛りをどうみるかという問題なんかまさにそうですよね。さて、話を戻して、さきほどのプロデュースということについて……。

適切な人材を配置するリーダーに

秋山 僕はどっちかというと、将来的にはリーダーとなってやっていきたいと思います。もちろん今はまだ若くて体力があるので、自分でできることは全部やりたいと思っているんですけど、さきほども言ったように、一人の人間に全部を求めるというのがなにか難しいような気がしていて、だからリーダーになりたいと思っているのはどういうことかというと、たぶん適切な人材を配置する能力でいいんじゃないかなと。僕に研究費を取ってくる能力はなくても、研究費を取ってくる能力がある人を仲間にする能力があればいい。アウトリーチはそういう意味では今はしたくないですけど、将来的にはそういう役も担っていきたいかなと。
 数学というのは唯一、これは要りませんとか、これは絶対必要ですとかいえる学問分野だと思っているので、だから生物とか工学とかいろいろな人と僕は共同研究をさせていただいていますけれども、僕にやってくれというのは、たぶんそういう能力です。今は自分が動くことですけど、将来的にはリーダーとは思っています。

尾関 アウトリーチ活動をやることになるであろうときには、今おっしゃったけれども、基本概念をきちんとシンプルに提示するということが大きな役割だということですか。

秋山 そして自分にないものを知っているので、それはほかで補う。

尾関 片瀬さんの分野は組織産業的というと言い過ぎだけれども、チームワークでやっていく部分が大きいんじゃないですか。

片瀬 そうです。はい。

尾関 そういうなかで、どうですか。マネジメントというか、今は研究を存立させ進めるという意味でプロデュースに近くなるような気もするけど、そういうことに興味ありますか。

小さなプロデュースから始めて

片瀬 もちろんありますね。現段階では、少しずつ小さいエリアでのプロデュースになってきてはいますけど、いろいろなプロジェクトを経験して、どんどん大きなことができるようになればいいなと思っています。

尾関 今、片瀬さんがやっている研究の論文の著者の数というのはどのぐらいなんですか。

片瀬 3人とか4人とか。

尾関 3人ぐらいでも一つのプロデュースをやっている?

片瀬 そうです。

尾関 相馬さんのお話はちょっと別だったと思うけど、ほかのお二人は、科学研究自体を、ある種のエンタープライズととらえ、マネジメントというよりプロデュースする感覚をおもちのようだし、そのなかにアウトリーチも入ってきているようなのですが、津田先生、どうですか、ちょっと違うなという感じですか。

他人の成果をうれしいと思う体験

津田一郎さん拡大津田一郎さん
津田 いや、違うという感じはしないですけど、ただ、自分の経験とはだいぶ違う。僕の場合は、基本的には一人でずっとやってきました。学生が来たら、一人でやっていると学生はなにもしないので、学生と一緒にやらざるを得なくなってしまったというようなことが長く続いていました。あるとき、新学術領域を出せという話になって、リーダーシップを発揮するのはあんまり好きじゃないので、嫌だったんですけど、まあ、なんていうか、1回ぐらい人のためになにかやってもいいかなとちょっと思ったんですね。そうしたら通っちゃったので、やらざるを得なくなって。
 プロジェクト全体としてはかなり大きな予算額で、あんまり苦労はしませんでしたけど、大変なところはありました。やっぱり、プロジェクト全体の研究を成功させる、させなきゃいけないというような観念があった。ただ、途中で開き直った。やっているのは他人だから他人がいい結果を出せなかったときになにを言ったってしょうがない、総合としてプロジェクトの評価は決まるので、僕は自分の受け持ちのところをやるのだ、と。
 あとは、若い人たちがどれだけ育つかということがものすごく気になりました。その一環としてアウトリーチ活動ということを考えたんです。若い人に、余計なお世話かもしれないけど、学者のコミュニティー以外へのチャンスが開けないかということを考えたときに、ちょうどCoSTEPがあった。
 そうしたら、CoSTEPの方が、なにを思ったか、サイエンスカフェをやりませんかというので、じゃあ、やりましょうと。ちょうど渡りに船でやってもらったんですね。
 それから、うちのそのプロジェクトはサイエンスカフェは1回しかやらなかったんですけど、高校生の夏期講習は毎年やった。場所を変えて、理研でやったり、都心の私立大学でやったり。あんまり北大ではやらなかったんですけど、結構好評だったんですよね。
 先生たちも研究者も、自分の研究時間が惜しいはずなんだけど、わりとそういうことには熱心で。なぜかというと、やっぱり楽しいんですね。若い高校生ぐらいの人を相手にしていると、こう言っちゃいけないけど、大学生を相手にしているよりおもしろいところがあるんですよね(笑)。すごく鋭いし、ちょっと勉強している子は、ものすごくいろいろなことを感じることができるので質問もおもしろい。それから、実験にも参加させるんですけれども、高校生も本当に楽しいという感じでやっていますし。準備をする先生たちも準備しているのが楽しい。高校生と一緒につきあうというのは、遊んでいる感じで研究を紹介していくというので、すごく大きな効果はあったと思う。
 そういうのを見ていると、自分の研究というのは、なにかえらく小さいような感じがしてきて、大したことをやってないな、とか思う。いや、これだけの多くの人たちの力が合わさって、もしなにかできるんなら、それはそっちのほうがずっとすごいんじゃないかという、ちょっと危機的な状況に、個人の研究者としては危機的状況になりました。だから、プロデュースしたくなってきました。
 プロジェクトをしてみると、それは、自分の研究だけを考えると確実に時間が足らなくなって進まない。学生たちが進まないと困るので、そっちは進むようにしなきゃいけないから、私個人の勉強はずいぶんスピードが落ちます。だけど、ほかの人たちの成果が上がるという喜びがまたある。あれは不思議ですね。僕なんかもう自分勝手にやってきた人間なので、自分の研究だけとにかくよければいいというふうにずっとやってきましたから、自分の研究成果があまり出なくても、人が成果を出しているのがうれしいと思ったことはなかったんだけど、ああいうプロジェクトをもってみると、それがすごくある。だから、あれはおもしろい経験だけど、ちょっと危険だなと(笑)。

尾関 おもしろいですね。だから津田先生は、もともと理論研究者でいらっしゃる。そういう分野って一人でやっているものなんだけれども、今のお話は教育者としていろいろ考えていらっしゃっていて、年長になられてというか、シニアになられて研究者の集合体の大事さが見えてきたというのはなかなかおもしろい話ですね。

大津 一つだけいいですか。いや、津田さんのお話、本当にありがたいなと思って聞いていたんですけれども、津田先生は実は、質問会場で出たコメントに全部答えてくださって。

尾関 それはサイエンスカフェ。

サイエンスカフェでおおらかな科学支援

大津珠子さん拡大大津珠子さん
大津 サイエンスカフェで、はい。その後、CoSTEPのウェブサイトで公開したんですけれども、津田先生のカフェを通して私が感じたことは、あれは納税者に対して役に立つ研究を求める社会につながるようなことではなくて、全然逆で、津田先生のような研究者が好奇心をもって、これはカッコ付きですけど〈役に立たない〉かもしれない研究に取り組んでいらっしゃるということを支援しようとする、おおらかな社会をつくっていくための、なにかそのステップ。もちろん津田先生の研究は数理科学の観点から脳のメカニズムを説き明かそうとする大変意義のある研究であることは理解できました。
 だから、国は納税者への説明責任のためにやりなさいと言っているけれども、そうではなくて、もっとおおらかで、そんな、なにをやってもいいですよと、それを社会に受け入れるかどうかは、それはまた別の次元で、社会が判断することだから、私たちはいいから、先生たちはいろいろおもしろいことをやってくださいよという、そういう意味の科学リテラシーが社会に根付く方向になった例じゃないかなと思ったんです。

尾関 なるほど。

津田 ありがとうございます(笑)。

尾関 相馬さん、なにか、さきほどおっしゃっていたのはそれに近いものがあるんじゃないかな。どうですか。

相馬 そうですね。高校生と接する機会は多いんですが、そういうときに感じるのは、生命科学とは絶対無縁で生きられないということです。それに対するある程度の教養というか、そういうものってもっている必要がある。
 たとえば、生命倫理のことを、いまCoSTEPさんはすごくやっていらっしゃるじゃないですか。それを全然自分とは関係ないというふうに生きていくんじゃなくて、そこに目を開くためには、生き物に対する目のをもっていてほしいと私は思うので、高校生と触れ合える機会というのはとても重要だと思うんです。
 私の場合は理学部生物なので、高校生の実習受け入れという機会があるんですよ。そういうところで自分が何かできるということはいいことだと思っています。

尾関 科学をもり立てているのは研究費だけじゃなくて、その研究に入ってくる若者というのかな、具体的には高校生ですよね。そういう人たちの好奇心をどれだけかき立てるかということが、持続可能な科学を続けていくうえで大変大事だということですよね。その意味では津田先生がなさったサイエンスカフェだとか、そういうものが、これまたプロデュースにかかわる重要な役を果たしますよね。

石村 そうですね、もっと広く社会全体にとっても、科学という文化のプロデュースみたいなことになってくると思うんです。
 私たちCoSTEPは、地域の市民の方々と研究者との双方向の対話の場ということで、サイエンスカフェというものを定期的に年6回ぐらい、札幌の紀伊國屋書店の1階ロビーで開催しているんですけれども、そういったものに出て、市民の方々の前で研究のお話をされたりするということに多少興味があるのか、それとも忙しいからちょっと遠慮したいという話なのか。もし興味があるのだとすると、どういうお話をして、どういうご経験をされたいのか、そのあたりをどう思っていらっしゃるのか、率直なところをお聞きしたいなと。

尾関 サイエンスカフェには出られたことのある方は。

相馬 「的なもの」には。

秋山 僕は広島大も経験しました。

尾関 どうですか、サイエンスカフェで感じたこと、そして、あの試みにどういう可能性を見いだしますか。

自分の研究の楽しさに気づく

秋山 いや、とても重要だと思います。というか、もっとも重要だと思います。というのは、僕は――たぶん皆さんもそうだと思うんですけど――小さいころに科学というか、そういうのが楽しいと思う経験がなかったら、今の職業に就いてないと思うんです。たとえば科学館に行ったりとか、SF映画を見たりとか、いろいろなものがあると思うのですが、そのうちの一つの新しい選択肢がサイエンスカフェだと思います。しかも、高校生ってたぶん一番多感なときで、将来どうしようかと悩んでいる人もいれば、わくわくする人もいる。いろいろな、とにかく多感な時期なので、その時期に。
 研究者の人も、たしかに市民の人に話すときには、普通の研究者に話すときのスライドとは違って、かなりわかりやすくページとページの間を埋めるような、しかも飽きさせない工夫を随所にするので大変なんですけど、たぶんちょっと楽しいと思いながらスライドをつくっていると僕は思っています。だから、研究者にとっても、自分の研究にはこんな楽しさがあるんだと気づかせてくれるし、いわんや周りの、高校生とか多感な時期の人にサイエンスカフェをするのは重要だと思いますので、僕はもう、そういう活動だけは、大学でやりませんかと言われたら断ったことはないですし、ずっとやり続けている。

石村 そうですか。じゃあ、早速私たちのサイエンスカフェのゲストをお願いしたいです(笑)。

片瀬 自分はまだそういう経験がないんですけど……。唯一関係のあるものとしては、スーパー・サイエンス・ハイスクール。

大津 SSH。

片瀬 というのがありますよね。半導体加工のクリーンルームとか、そういう高校生がふだん見ることはないであろうものを見せる場として、すごくいいなと思いました。とくに今後、何がしたいかというモチベーションのきっかけになるのはいいなと。

尾関 僕は東京近郊のとある都市で、月1回のサイエンスカフェにかかわっています。ほかにもカフェ的な試みに出かけることがよくありますが、年齢層で言えば、60歳超の年配の人がいっぱい来るんですね。
 ひとつ僕が思うのは、どうしてもスライドを見せて、教室的な、先生対生徒みたいになっちゃうんですね。60歳を超えた人たちには向学心に燃えている人が多くて、ノートをとる人はさすがにいないけれども、今日はこれを教わった、みたいな、そこで終わっちゃっている感じがする。
 カフェ、本当のサイエンスカフェってそうじゃなかったはずなんですよね。イギリスで1990年代に始まったときも、ワインバーかなにかで酒を飲みながら語り合う、という感じだったらしい。

秋山 僕のときは、サイエンスカフェは、たしかに、まあそうです。本当は双方向がいいんでしょうけど……。

石村 それについては大津さん、ぜひ言いたいことがあるんじゃないですか。

大津 そう、言いたいこと。北大はまったく違いますね。

尾関 そうですか。

コーヒー、ファシリテーター、討論

大津 はい。それこそちゃんと。今はコーヒーショップが紀伊國屋から、1階にあったものが2階に移ったので、コーヒーを飲みながら、というのは前よりちょっとハードルが高くなった。でも津田先生なんかに参加していただいていたある時期までは、ずっとコーヒー屋さんの前で、本当にコーヒーを飲みながら、そして札幌駅の駅前のオープンテラスで不特定多数の人がたくさん訪れて、そして全部カーテンウォール、ガラス張りですよ。そういう非常にオープンな場所で、それも200万都市の札幌駅前ですよ。そこで本当にコーヒーを飲んだり、場合によってはいろいろなお菓子ですね、そういったものを配って、それを食べながらやったり、そういう意味で、いろいろな試みはしています。
 私たちの考え方は、当事者は参加者だということで、必ず参加者に何か発言してもらうようなきっかけをつくって、あとはファシリテーターと呼ばれる役割の方をいろいろな随所に入れてという。

石村 出生前診断や生殖医療に関するカフェでは、参加者のみなさんが6~7名ずつに分かれてそれぞれ円卓を囲み、グループディスカッションを行いました。こういったテーマだと参加者の間でいろいろ意見が分かれますから、どういう意見をもっているのか、一人ひとり自分の意見に近い主張が書いてある場所にシールを貼ってもらったりして、それをきっかけに会場に集まっている皆さん、初対面の皆さんどうしで議論してもらいました。9個ぐらい円卓を会場に持ち込んで。

尾関 哲学カフェというのが1990年代にフランスであった。その様子について聞いたことがあるんだけど、スピーカーが名乗らずに来ることもあるらしい、ふらりと会場に。カフェでみんなコーヒーを飲んでいて、だれが本当の哲学者か分からない(笑)。とにかくそのぐらい本当は溶け込んでやるのがいいという感じがあって。
 さっきの不倫は是か非かじゃないけれども、ああいう話のは、出生前診断のように社会的にガイドラインを決めてどうこうというようなこととは違うところで、かなり個人の自由度のある、いろいろな考え方がある。それがこうみんな出てくると、そのなかで科学が何を今見極めたかというあたりのことが浮きあがってきて、おもしろいのかなという感じはします。

相馬 たぶん直近でいうと芸術祭ですよね。

大津 ああ、そうですよね。

芸術祭ではアーティストと対話

相馬 札幌芸術祭の一環で話をさせていただいたときのことです。性淘汰というのは美しい装飾形質とか、あるいは求愛ディスプレーのような行動形質の進化に絡んでいるんですけれども、それのどっちかというと美しさとかダンスのおもしろさみたいな部分をお話ししたんですが。
 私が一番おもしろかったのは、終わった後に本当のダンサーの方がお話しに来られて、今のダンスというのは、振り付けをコンピューターで、なにかこう、シミュレーション的につくる。私と逆なんです、アプローチが。ダンスをデータに落としてくるんじゃなくて、逆をやっているんだという話は、絶対あそこに行かなかったら聞けなかった話。それはおもしろいな、というような刺激はありました。

尾関 インタラクティブになり得るテーマですよね。

石村 お客さんにとってインタラクティブというのは大事だと思うんですけど、今のエピソードは、まさに相馬さんにとってインタラクティブなカフェだったということですね。

相馬 はい。

石村 単に情報発信するだけじゃなくて……

相馬 フィードバックが。

石村 ゲストもまたフィードバックを受ける、会場からそういうメッセージがあったんですね。ゲストにとってもインタラクティブになり得るカフェというのは、やっぱりすごく深い意味があるんじゃないかと思います。

尾関 サイエンスカフェを初めて試みたとされているのが、ダンカン・ダラスという英国人です。もともとテレビのプロデューサーで、去年亡くなられた。彼にカフェと講演講義の違いを尋ねると、カフェでは聴き手がさまざまな異なる知識をもっていて、それをもとに質問するので話し手と聴き手が対等、互いに尊敬しあう、と答えてくれた。今おっしゃったように、しゃべる側がなにかを見つけて帰るということかないと。

大津 ただ、(芸術祭の話は)本来のサイエンスカフェではなくて、イベントとしてのサイエンスカフェの話です。もともとのサイエンスカフェの精神というのは、もっと自然発生的にいろいろ、あちこちで興っているということでしょう。

尾関 では、討論の締めくくりに、年長組のみなさんにひとことずつ感想を。

「言い訳」でないアカウンタビリティー

中垣俊之さん拡大中垣俊之さん
中垣 ひとことだけ。アカウンタビリティーということがキーワードとしてあったと思います。僕は、こういうことが言われるようになって、最初は「言い訳しなさい」というニュアンスで受けとめていたんですよ。遅刻していた学生がなぜ遅刻したかというのを先生に釈明するみたいな、そういう受け取り方だったんですね。言い訳じみたことをいろいろあげつらって許してもらうという気持ちでした。でも、やっぱりそれはおもしろくないんですね。やっていてもおもしろくないし、それを聞いているほうもたぶんおもしろくない。
 ところが途中から、「僕はこういうふうにおもしろいと思っているんだけど、いかがでしょうか? ほら、こんなにおもしろいでしょう!」と、受けようが受けまいが、認めてもらおうが認めてもらえまいが、それをナイーブに出すことを考えるようになった。自分はこの研究をやって面白いので、それを伝える工夫をすることはやりがいがあるなと感じています。それで否定されたり、「お前はもう要らない」と言われたりしたら、それは「はい、わかりました」ということで退場すればいいのかなというぐらいの気持ち。社会に対して合わせていくんじゃなくて、こういうのを認めてくださいと言う気分に変えたんです。それからはちょっと気持ちがポジティブになった。

3人からしっかりした言葉を聞いた

津田 お三方のやっておられることについて。相馬さんは鳥類が専門なんだけれども、コミュニケーションの発生と進化を通して、人を見ておられるところがあるんですね。非常にうまく概念化されている。それから片瀬さんは、セラミックは結局、石ころだと。石ころが世界をつくるんだという、これも非常に概念化されている。
 秋山さんは、一番僕はよく知っているんだけれども、やっぱり数学という普遍原理のところなんですね。おもしろいのは、彼の場合、数学というとなにか論理みたいに思うかもしれませんけど、どっちかというと感性の方を強調されているような気がしました。つまり、感性のほうが普遍的で、論理というのは人によって違う。なにか変なロジックを言う人はいっぱいいますから。たぶんロジックというのは実はそんなに抽象的ではなくて、人が使うロジックというのはむしろ具体的過ぎる。感性のほうがどっちかというと普遍的なので、数学というのはたぶん感性にもとづく。そういうことを体現されているようなところがある。
 お三方とも、僕が若いころと比較すると、しっかりした言葉をもっておられる。ちゃんと自分の研究を概念化している。だから、これはもしかしたらその、さっきの……

中垣 「監られる」。

津田 「監られる」ということが、自然と、さっき意識しないと片瀬さんも言っていたけど、それぐらい自然にできているんじゃないか。とすると、ちょっとやっぱり世代として進歩している部分が見えて、非常にうれしかった。やっぱり人間も進化していかなきゃいけない。

中垣 世代ごとに(笑)。

津田 学問というのは、僕も学生によく言うんですけど、僕よりつまらない仕事をしたら絶対だめなの。僕と同じ分野でやっている人は、僕よりいい仕事をしないと、学問が滅びるわけです。だから、そういうのが見られるか見られないかというのはやっぱり、研究者にとってはすごく大事なことなんですね。若い人たちに、そういう我々より進化した部分が短い時間でしたけど非常にはっきりと見えたので、すごくうれしかったです。ありがとうございました。

メディアの問題放置は罪深い

大津 私は研究者ではなくて、市民の代表として今日参加させていただいて、感想をもったのは、メディアはやっぱり短期的な不正やそういうことをずいぶんクローズアップしている。STAPの話でも、コピペの問題だったり、研究不正の問題だったり、そこに国民の関心があるんですよ、といまだに騒いでいるような感じがして。
 とくにメディアの方に言いたいのですが、もっと罪深いのは、原発の問題だったり医療事故だったり、今私が関心を持っている生命倫理やゲノム編集のような問題の放置であり、丁寧に扱って欲しいと国民は期待していると考えています。研究者コミュニティーのプロデューサーではなくて、社会的なプロデューサーとして活躍されている方たちに期待したいなと思いました。

橋渡し役にもアカウンタビリティー

石村 私も、もとは心理学の研究者をやっていました。今は科学技術コミュニケーションが専門で、市民と研究者の橋渡しなどと言っていますけど、コウモリみたいにこっちに行けばこっちの顔をして、あっちに行けばあっちの顔をして、みたいなところがある。その意味では今日、自分が心理学の研究者だった時代のことを思い出しつつ今の自分の立ち位置のことをかえりみて、背筋が伸びるというか、胸が痛むというか。他人にアカウンタビリティーを、と言う暇があるぐらいだったら、まず自分のアカウンタビリティーを、というふうに思いました。

メディアも科学界もともに成熟を

尾関 ありがとうございました。最後に私も手短に。ずっと科学記者をやってきましたから思うんですけれど、30年前にこういう会をやったら、科学をやっている人は科学の話だけで終わってしまったと思うんですね。ところがきょうのみなさんは、科学というものが社会の文脈の中にあるということを認識していらっしゃる。
 ただお願いしたいのは、さっき大津さんに耳の痛いことを言われましたけど、メディアには成熟していない部分がありますので、そういうメディアにすり寄るみたいなかたちにはあまりなってほしくないということですね。プレス発表は非常に大事だとは思うけれども、新聞に大きく扱われたからよかったねとか、小さかったから失敗だねというようなことを思わないでいただきたいと。科学ジャーナリズムのほうも成熟しなきゃいけないし、お互いに成熟し合っていくということの今途上にあるという認識をもつべきかな、というふうに自戒を込めながら感じています。本当にありがとうございました。
(おわり)

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