神岡KAGRAの無念をノーベル賞至上主義から脱却する機会にしたい
2016年02月19日
人類は、ついに重力波を捕まえた。海辺の波でもない。電磁気の波でもない。アルバート・アインシュタインが予言した時空の伸び縮みというまったく新種の波を、米国2カ所の重力波観測装置LIGOがとらえたのである。10年に1度、100年に1度の発見というよりも、人類史を画する事件というべきだろう。
主張を繰り返す理由は、今回の出来事が科学と社会の関係を再考するきっかけになると考えるからだ。政官界やメディア、そして科学界の一部にも、技術直結型ではない純粋科学の値打ちを「ノーベル賞を獲れるか」という物差しで測ろうとする傾向が見受けられる。そういう視点に立てば、重力波初観測で先を越されたことは無念の一語に尽きるだろう。だが、純粋科学の存在理由は1位になって賞を獲ることだけではないはずだ。そのことに思いを巡らす絶好の機会を、KAGRAは私たちに与えてくれているのだとも言える。
私が前回2011年の拙稿で触れず、今回ここで強調しようと思うのは、重力波が存在することがほぼ確実になったことで、これからは重力波天文台という概念が人々の間に定着するだろうということだ。世界には多種多様の天文台がいくつもあり、日常的に天を仰いでいる。電波望遠鏡を備えているところも多いが、それらは宇宙から届く電波を初観測するためのものではない。宇宙から電波が飛んでくることはとうの昔にわかっているが、だからこそ電波観測を続けて宇宙の謎を探ろうとしているのである。今回の発見で、重力波も天文台を構えるに値する天体情報の伝え手とみなされることになった。
今回の発表でなによりも驚かされるのは、装置を動かしてまもなく重力波が飛び込んできたということだ。LIGO計画で中心的な役割を担うカリフォルニア工科大学のウェブサイトによると、装置が「正式」に観測を始めたのは去年9月18日。重力波を感知したのは3日前の15日。なんと試運転中に捕まえたことになる。そこから推し量れるのは、
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