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インテルの栄枯盛衰から何を学ぶか

死去した元会長アンディ・グローブの余りにも強すぎた影響力

湯之上隆 コンサルタント(技術経営)、元半導体技術者

 インテルを半導体売上高世界1位の企業に成長させた元会長のアンディ・グローブが3月21日、79歳で亡くなった。

 「偏執狂(パラノイア)のみが生き残る」という名言で知られる彼はどのような経営手法で世界一の半導体メーカーを築き上げたのか。また、スマホの普及とともにインテルは窮地に立たされたが、そのような事態になったのはなぜか。

 本稿ではインテルの歴史を振り返ることにより、これらを明らかにしたい。

インテル創業

 インテルは、1968年にフェアチャイルドセミコンダクターを退職したロバート・ノイスとゴードン・ムーアが創業した。社名は、「Integrated Electronics」を縮めた造語からつけた。

 ノイスは半導体集積回路(IC)の発明者の一人である。2000年にジャック・キルビーがノーベル物理学賞を受賞したが、私はノイスの発明の方がより現在のICに近いと思う。もし、ノイスが健在だったら、共同受賞になったと思われる(実際は、1990年に死去)。一方、お馴染み「ムーアの法則」で知られるムーアは、半導体メモリDRAMを開発した。

 グローブは、ハンガリーのユダヤ人家庭に生まれた後、ナチス・ドイツの迫害を逃れて亡命し、オーストリア国境をくぐり抜け、最後は米国にたどり着いた。そこから猛勉強をして、ニューヨーク市立大学シティカレッジに入学し、化学工学を学んだ。そして、1963年にカリフォルニア大学バークレー校から化学工学の博士号を取得してフェアチャイルドセミコンダクターに入社した。その後、インテルに第1号社員として加わり、有名な「三人組」体制が誕生した。

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ロバート・ノイスCEOの時代(1968~1975)

 初代CEOノイスの元、インテルは創業から3年間で矢継ぎ早に64ビットSRAM、1キロビットDRAMなど現在の主要半導体のほとんどを開発、発売した。

 1974年に発売した4キロビットDRAMは、82.9%のシェアを占め、半導体メモリ企業のトップに立った(図2)。

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 この時代、グローブは製造現場の実権を握り、マーケティングと営業以外は全権を掌握していると言われた。

ゴードン・ムーアCEOの時代(1975~1987)

 2代目CEOムーアの初期まで、インテルはDRAMメーカーだった。この時代に開発した16キロビットの単一電源DRAMは、他社が追随できず、他社の倍の価格がついた。

 しかし、1980年代に日本メーカーが大挙して参入してくると、

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筆者

湯之上隆

湯之上隆(ゆのがみ・たかし) コンサルタント(技術経営)、元半導体技術者

1987年京大修士卒、工学博士。日立などで半導体技術者を16年経験した後、同志社大学で半導体産業の社会科学研究に取り組む。現在は微細加工研究所の所長としてコンサルタント、講演、各種雑誌への寄稿を続ける。著書に『日本半導体敗戦』(光文社)、『電機・半導体大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北-零戦・半導体・テレビ-』(文書新書)。趣味はSCUBA Diving(インストラクター)とヨガ。 【2016年8月WEBRONZA退任】

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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