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核燃料の処理は事故後100年? チェルノブイリ

100年シェルターでまずは長期保管 チェルノブイリ30年(1)

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 1986年4月26日に爆発事故を起こしたのはウクライナ北部にあるチェルノブイリ原発の4号炉だ。4号炉は1984年3月に営業運転を始めたばかりの新鋭炉で、初の停止に向けた作業をしていた。出力をどんどん下げていたときに出力が急上昇し、爆発した。1~3号炉はその後も動いていたが、2000年までに閉鎖された。

 3月、10年ぶりに訪れた4号炉は活気にあふれていた。2012年から本格的に建設を始めた新シェルターが完成間近なのだ。多くの人が忙しく動き回り、「ガーン、ガーン」という工事現場特有の音が響いていた。

拡大新シェルターの建設は多国籍混成部隊。杉本康弘撮影

 新シェルターはNew Safe Confinement(新安全封じ込め施設)とよばれる。資金はEBRD(欧州復興開発銀行)が集めた。建設を請け負った企業体ノバルカ(NOVARKA)のプロジェクトリーダー、ニコラ・カイエさんが現場にいた。費用を聞くと「14億2500万ユーロ」という細かい数字が返ってきた。「当初はもっと大きな額が必要といわれていたが、われわれの努力で抑えた」と胸を張る。1ユーロ=125円とすると1780億円。ちょうど日本の国立競技場くらいだ。

石棺は崩壊の危険があった

 新シェルターは巨大なかまぼこ型をしている。高さ109メートル、幅257メートル、長さ162メートル。総重量35000トン。事故炉から約300メートル離れた場所でつくられている。近すぎると事故炉から出る放射線が障害になる。

 今年11月には、レール上を滑らせてシェルターを移動し、高さ72メートルの石棺をすっぽり覆う予定だ。かまぼこの片側から4号炉を望むと、かまぼこのもう一方の端っこが石棺の外観シルエットになっている。レールで運ぶ途中、石棺が壁に当たらないようにするためだ。石棺を中に納めたあとで両脇の壁を閉じる。

拡大石棺(右)と新シェルター。杉本康弘撮影

 石棺は長い間危なっかしい状況が続いてきた。86年の事故直後にあたふたとつくったが、強烈な放射線のため人間があまり近づけなかった。建設でリクビダートルといわれる大勢の除染労働者に多大な被曝を与えたがそれでも強固な構造にはできなかった。例えば屋根材はクレーンで「置いただけ」。人が上に乗ってボルト締めや溶接などはとてもできなかった。

 もともとかなり傷んだ原発の建物の一部を支えに使いながらつくっており、弱い。部分的な補強を重ねて何とか持たせてきた。

核燃料が融けて固まり「象の足」に

 今度のシェルターは「100年もつ」といわれるが、問題はこれで終わりではない。4号炉の底には大量の核燃料含有物質(FCM)が詰まっている。炉心にあった核燃料と黒鉛など炉心の材料、それに炉心の火事を止めるためにヘリコプターから投下した砂などさまざまな物質が混ざったものだ。高温で融けて固まり、その形状から「像の足」とよばれるものもある。

 これらをどう処理するかは決まっていない。2004年初頭まで、ウクライナ政府内では「原子炉から取り出して外部で処理、保管」という案が有力だった。 ・・・ログインして読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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