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チェルノブイリ、いまさら「きれい」と言われても

放射能が減って困惑するロシア・ブリャンスク州  チェルノブイリ30年(2)

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

 チェルノブイリ事故で放出された主要核種、セシウム137はどこに降ったか?ベラルーシ非常事態省の幹部アナトリー・ザゴルスキーさんに聞くと、「ベラルーシに23%、ウクライナに5・5%、ロシアに1・5%」という答えだった。残りは地球全体にばらまかれた。

 チェルノブイリの被災国は主に3つだが、ロシアの被災地の状況はあまり報道されない。南西部のブリャンスク州などに汚染は広がっているが、いわば「忘れられた汚染地」だ。同州の中でかなりの汚染を受けたのはノボズィプコフ市(42000人)である。同市はいま「放射能が減ったことによる問題」に直面している。

避難ゾーンに住み続けた

 1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、当時のソ連政府はセシウム137で土地の汚染度を分類した。1平方キロ1キュリー以上を汚染地とし、4段階に分けた。(1キュリーは370億ベクレル)

1)40キュリー(1平方キロ)以上  強制移住
2)15~40キュリー  義務的な移住。本来は移住すべきゾーン
3)5~15キュリー 住んでもよし、移住してもよし。移住する場合は国が支援する。
4)1~5キュリー  放射能の監視が必要。

拡大ロシア・ノボジブコフ市に住むオクサーナさん一家。オクサーナさんは「ノボジブコフ母親の会」議長だ。家族4人全員の甲状腺が肥大している。次女(左から2人目)はしばしば脱毛症状がでる。杉本康弘撮影

 ノボズィプコフ市の多くは2)に入った。相当に汚れている地域で、普通なら汚染の重い地域から順番に疎開することになる。ノボジブコフでも町をほぼ丸ごと疎開させる計画もつくられた。しかしうまくいかなかった。途中でソ連邦が崩壊して推進力がなくなったこと。町の人口が56000人とまるごと動かすには大きすぎたことなどが理由だ。周辺は見渡すかぎりの草原で、多くの移住者を吸収できる大都市はない。いったん他の地域へ移ってもなじめず、帰ってきた人も多い。

 優遇手当てに依存の生活、突然の切り下げ

 ほとんどの市民はそのまま住み続けた。地元の農産物を食べることは禁止、地元の木を薪に使うことも禁止、浅い井戸の水も飲めないなど不便だった。農業、酪農は禁止され、肉加工場、牛乳工場、バター工場、小麦加工場などが閉鎖された。給料をもらえる職が消えていった。

 住民は手厚い優遇措置に依存した生活になった。汚染地区で生活する補償金、各種の優遇手当てをもらい、他地域や外国から運び込まれる食料をスーパーで買う生活である。「当初は、中国製の肉の缶詰も多かった」という。放射能汚染地での生活を続ける場合、「きれいな食料を他地域から供給すること」が国や社会の大きな負担になる。

 汚染レベルが高いいわゆる「避難ゾーン」だったため、優遇措置もかなりのものだった。補償金、住宅への税金免除、有給休暇の倍増、薬の割引、サナトリウム(保養所)利用の優遇。列車料金の割引などなど。

拡大ロシア・ブリャンスク州ノボジブコフ市の広場。こうした中心部はアスファルトをしいているため放射線レベルは高くない。杉本康弘撮影

 こうした優遇手当て依存の生活が突然変わった。原因は昨年10月8日にロシア政府が出した「1074番」の政府決定だ。汚染レベルの変化を取り入れて汚染地の分類をやり直し、 ・・・ログインして読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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