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113番元素の命名権をなぜ理研が取れたのか

決定した国際作業部会の委員・山崎敏光東大名誉教授に聞く

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

ニホニウム命名会見で元素周期表を手にする森田浩介九州大教授=6月9日、埼玉県和光市、関田航撮影
 113番元素が「ニホニウム(Nh)」と名付けられることになった。命名権獲得を知らせる理化学研究所(理研)のプレスリリース(2015年12月31日)の「元素周期表にアジア初、日本発の元素が加わる」という見出しは秀逸で、6月8日の「ニホニウム」発表のときの報道でもこのフレーズがよく使われた。「ニホニウム」はまだ「案」の段階で、5カ月間のパブリックレビューを経て正式名になる。それにしても、果たして理研が新発見の栄誉と命名権を獲得できるかは、昨年末まで当事者たちも確信が持てなかった。ロシア・米国の合同チームも113番元素の発見を主張していたからだ。しかも、最初の論文発表はロシアチームの方が早かった。「発見者は理研チーム」と裁定を下した国際作業部会の委員を務めた山崎敏光・東大名誉教授に、舞台裏を聞いた。

 周期表にある元素のうち、原子番号92のウランまでは自然界から発見された。それより重いものは人工的に合成することで確認されてきたが、原子番号104以上の「超重元素」はすべて不安定で、生成量も少なく、確認が難しかった。一つの研究グループが「発見」を主張する論文を発表しても、それだけで新元素発見と見なすわけにはいかないのが「超重元素」だった。

 発見かどうか判定する役割を担っているのが、学会の連合体である国際純正・応用化学連合(IUPAC)と国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)の合同作業部会だ。

 森田浩介九州大教授を中心とする研究グループは、埼玉県和光市にある理研の重イオン線形加速器を使って2004年に一つ、2005年に一つの113番元素の合成に成功し、論文を発表した。しかし、2007年時点で第3期合同作業部会は「二つでは少なすぎる」などを理由として新発見と認めなかった。一方で、ロシアと米国の共同研究グループが違う方法で113番元素を見つけたと一足早く発表、ところがこちらも2007年の段階では新発見と認められず、どちらに命名権が与えられるか、世界が固唾を飲んで見守るようになった。

 第4期合同作業部会は2012年にスタートし、日本から原子核物理が専門の山崎敏光・東大名誉教授がメンバーに入った。5人のメンバーのうち物理学者は2人、化学者が3人で、委員長は核化学が専門のポール・キャロル米カーネギーメロン大学名誉教授が務めた。

 理研の森田グループは2012年に3個目の113番元素の合成に成功。一方のロシアチームも複数のやり方で合成数を増やし、2013年までにその数は50個を超えた。

 原子核は陽子と中性子の集合体だ。陽子の数が原子番号で、陽子と中性子の合計数が質量数である。元素が何かは陽子の数(つまり原子番号)で決まり、質量数が違うものは同位体(アイソトープ)と呼ばれる。

 森田グループの方法は、

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