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小学校プログラミング教育のあるべき姿

教育そのものの再プログラミングが最重要課題だ

山下哲也 エバンジェリスト、山下計画(株) 代表取締役CEO

小学校1年生へのプログラミング授業=2014年10月20日、佐賀県武雄市の山内西小学校、安楽秀忠撮影
 小学校でのプログラミング教育の必修化が検討されつつあるが、このプログラミングという言葉から皆さんは何を想像されるだろう。恐らく多くの方は、各種システムやゲームなどのソフトウェアを作ることをイメージされ、あまり自分には関係がないと思われるのではないだろうか。そのイメージは間違いではないけれども、これではプログラミングの奥深さを見過ごしていると言わざるをえない。

 パソコンやスマートフォン、タブレットや各種ゲーム機など、私たちの日常にはコンピューターが溢れているが、こうした目に見える、いわばコンピューターらしいコンピューターだけでなく、今ではありとあらゆるものがコンピューター化されている。例えば冷蔵庫やエアコンといった家電製品、飛行機や自動車、駅の券売機や自動改札機、SuicaなどのICカードにもコンピューターは内蔵されている。経済活動や社会生活のほぼ全てがコンピューターに支えられているのが現実だ。

 これらのコンピューターの動作を制御するのはソフトウェアである。日常のあらゆる領域にコンピューターが浸透した現代、ソフトウェアを作るプログラミングという行為は、単純な処理や制御から、社会活動や人間のあらゆる行動を論理的に分析して記述するレベルに近づきつつある。例えば、急速に進化しつつある人工知能(AI)は、人間の思考能力を解析して、それをコンピューター上で再構築する試みであり、このAIとロボットの組み合わせは、ある意味、人が人工的に「人」に近い存在を作り出す行為ともいえるだろう。

 これまで私たちの多くは自らプログラミングの必要性に迫られることは皆無だった。コンピューターとそれに使用されるソフトウェアはIT企業が開発するものだったからだ。農作物を育て、ものを作り、荷物を配送して、お店で販売するといった様々な仕事をこなすのに、コンピューターとは何か、プログラミングとはどのようなものかを知らなくても何の支障もない。この事実から、小学校でのプログラミング教育必修化は不要という意見もあるが、それは現在に視点を固定した見方であり、社会の近未来像に対する考察が不足している。私たちが注目しなければならないのは、従来の様々な前提や常識が、ITの進化と普及により今根底から変わりつつある点だ。

 あらゆるものがインターネットに接続され、情報交換を可能とするIoT (Internet of Things) が日常の隅々にまで浸透し、自動運転車が街を走り、高度な処理・判断能力をもつAIやロボットがあらゆる場面で使用される将来、従来人がこなしてきていた仕事のほとんどは自動化されることが確実視されている。その世界では、私たちの仕事は直接手を動かして様々な処理をすることから、その処理を行うAIやロボットといった機械、つまりコンピューターをどのように組み合わせ、その動作を設定・管理するかに移行する。

 そうした世界で野菜を育て、製品を設計・製造し、様々なサービスを提供する時、私たちに求められるのは個々の技能ではなく、

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