原発過酷事故は、相当高い確率でまた起こる
2016年07月01日
前稿から安全管理の心理的リスクを考えているが、原発再稼働があまり抵抗もなく推進されたのは何故か。「目につきやすい経済要因が、盲点に入ったリスクをさらに覆い隠してしまったから」と筆者は見る。
今回目立ったのは、規制委が再稼働容認に向かって「急に」「強引に」舵(かじ)を切った点だ。時間切れで廃炉となる事態を避けるために、他の原発を後回しにして審査した。また設備を実際に揺らす耐震試験を先送りし、(関電自身が3年以上かかると認める)安全対策工事も先送りする形で認めた。
背景にはもちろん関電側の経済的事情がある。廃炉と再稼働とでは、その損得の落差は巨大だ。関電も必死だっただろうが、規制委がそれに「配慮して」しまった。
原発経済はまるで「坂道を下る自転車」だ(本欄拙稿『原発をめぐるカネと心(4)~走り出したら止まれない』)。止まるに止まれず、ますますスピードアップして転倒の危険とそのダメージは大きくなる。今回は多少の怪我(=経済損失)を覚悟してもブレーキをかける、それによって将来の大災厄を避けるという選択が出来なかった。
再稼働が簡単に認められてしまった2番目の理由として(より強調したい点だが)認知要因による危険性が「盲点」に入り、先の経済的動機によってますます覆い隠された。
詳しく言うとこの認知要因には2つの側面があり、
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