米山正寛(よねやま・まさひろ) ナチュラリスト
自然史科学や農林水産技術などへ関心を寄せるナチュラリスト(修行中)。朝日新聞社で科学記者として取材と執筆に当たったほか、「科学朝日」や「サイアス」の編集部員、公益財団法人森林文化協会「グリーン・パワー」編集長などを務めて2022年春に退社。東北地方に生活の拠点を構えながら、自然との語らいを続けていく。自然豊かな各地へいざなってくれる鉄道のファンでもある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
あの「民主主義の実験場」は今……
神奈川県逗子市の「池子の森」を訪ねた。1982年に、この森を開発して米軍住宅を建設するという国の計画が浮上し、全面返還を求める市民たちが森の保存と住宅建設反対を訴える運動を展開した場所だ。84年に反対派の市長を生みだすなど、地方の民意で国の政策を変えようとした運動は当時、「民主主義の実験場」とも呼ばれ、全国にその名をとどろかせた。あの頃の熱気をご記憶の方も多いことだろう。
かつて地元の人々が里山として生活に利用していた池子の森は、戦時中に日本軍が使用するようになり、敗戦後は米軍の弾薬庫として使われていた。78年にその弾薬庫も閉鎖され、地元で返還への機運が高まっていた中、住宅建設問題が浮上した。反対運動は活発化していったが、国は87年に建設へ着手。94年には「(住宅地以外の)緑地の現況保全に配慮する」ことを盛り込みつつ、国や県との合意がなされ、逗子市も米軍住宅を受け入れる結果となった。住宅への米軍家族の入居は96年に始まり、20年を経た今も、そこはフェンスに囲まれて市民が自由に立ち入ることはできない。
ただ、返還を求める市の交渉は続き、保全された緑地の一部や運動場などを含む約40haが昨年春、日米共同使用の「池子の森自然公園」となった。そして今春から公園内の緑地エリアが一般開放(土日休日に限定)され、実際に森への立ち入りが可能となった。かつての熱気を知る世代の一人として、節目となる大きな出来事だと受け止めたのだが、全国的な報道はほとんどなされておらず、ひっそりと小さな扉が開いたという感じがする。
私が訪ねた時、森の池や小川の周囲で整備された草地では子どもたち向けのプレイパークが催されたり、家族連れなどがピクニックや自然観察を楽しんだりしていた。一方、緑地エリアの東西を占める森林には一部を除いて散策路は設けられておらず、基本的には足を踏み入れられない状態になっていた。