あの「民主主義の実験場」は今……
2016年07月26日
かつて地元の人々が里山として生活に利用していた池子の森は、戦時中に日本軍が使用するようになり、敗戦後は米軍の弾薬庫として使われていた。78年にその弾薬庫も閉鎖され、地元で返還への機運が高まっていた中、住宅建設問題が浮上した。反対運動は活発化していったが、国は87年に建設へ着手。94年には「(住宅地以外の)緑地の現況保全に配慮する」ことを盛り込みつつ、国や県との合意がなされ、逗子市も米軍住宅を受け入れる結果となった。住宅への米軍家族の入居は96年に始まり、20年を経た今も、そこはフェンスに囲まれて市民が自由に立ち入ることはできない。
私が訪ねた時、森の池や小川の周囲で整備された草地では子どもたち向けのプレイパークが催されたり、家族連れなどがピクニックや自然観察を楽しんだりしていた。一方、緑地エリアの東西を占める森林には一部を除いて散策路は設けられておらず、基本的には足を踏み入れられない状態になっていた。
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