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英国EU離脱とドイツ理想主義

人の移動の自由、どこまで・どのように認められるべきか

高部英明 ドイツ・ヘルムホルツ研究機構上席研究員、大阪大学名誉教授

 昨年8月に私がドイツに移住したのは、欧州の複数の大型レーザー装置(ELIなど)による新しい科学に魅力を感じたからである。こちらに来てすぐEUに住んでいることを実感した。100万人を超える難民を受け入れるドイツ人の寛容さには、感心すると言うより、あきれる思いであった。ドイツ政府の対応には疑問も感じていた。だから、英国でEU離脱の国民投票があったとき、私は内心、離脱賛成であった。

 今回の英国離脱をきっかけに、「人、もの、金」の移動の自由を保障したEUの理念を加盟国で検討し直し、特に「人の自由な移動」の可否が議論され、現実的な合意が見出されることを期待している。

1. 経済統合から政治統合へ

 EUの始まりは第1次・第2次世界大戦の主要な原因であった仏独国境の地下資源(石炭・鉄鋼)を共同管理することにより、紛争を避けようとする政策だった。6カ国による共同体がド・ゴールとアデナウアーの強い絆で1951年に発足した。その後1958年に欧州経済共同体(EEC)が設立。1967年には欧州共同体(EC)となり、英国は1973年に加盟している。冷戦の終結を受け、1993年に欧州連合(EU)へと政治統合の色彩を帯びて発展。英国離脱の要因となった東欧諸国も加盟してきた。

 私は1980年9月から1年間、冷戦時代の西ドイツ・ミュンヘンに客員研究員として滞在した。当時はECの時代とはいえ国境の概念はしっかりあり、アウトバーンで1時間のオーストリア国境には国境警備隊がいてパスポートの提示を求められた。さらに、物価も欧州の北と南で大変異なり、好景気のドイツからイタ

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