米国大統領選の3つの「なぜ?」が氷解する
2016年09月15日
今回の米大統領選の経緯は、丸ごと「ドナルド・トランプの謎」とでも呼びたいほどだ。もちろん「ヒラリー・クリントンの謎」もあるが、ここでは特にトランプに焦点を当てたい。というのも後で述べるように、ここで述べる考えはある程度ヒラリーにも適用できると考えているからだ。
大統領予備選からのトランプの言動と米国有権者の動向には、かつて例のない、いくつかのミステリーがあった。
まず第一、トランプは有名人ではあったが政治経験も実績もなく、支援組織も資金も主流派候補たちに比べればはるかに劣っていた。だから当初は立候補自体、単なるジョークぐらいに捉えられていた。それがとうとう共和党正式候補にまでのし上がってしまった。これが説明を要する第一の謎だ。
第二の謎は、選挙戦の過程で「暴言を吐くほど支持率が上がる」という、あり得ないはずのパターンが繰り返されたことだ。そうした「暴言」の中身が、ほぼ常に「政治的に不適切」、つまり「政治的な正義」の逆をいっていたことに注目しておきたい。
第三に、ここへきて急速にしぼみはじめたことがある。(暴言も含め)やっていることは同じなのに、有権者が以前のように反応しなくなった。つまりトランプに限っては「舌禍による失速」はほとんどあり得ないはずなのに、原因不明の支持率低落が続いている。これはトランプ陣営自体にとっても謎のようで、責任者をすげ替えるなど戦略が混乱している。だがここにこそ大きな手がかりがあると筆者は考えている。
一見矛盾するこれらの謎を一挙に解くカギがあるだろうか。
筆者がここで提唱したいのは「トランプ人気=ガス抜き」説だ。つまり有権者の抑圧された政治的欲望がたまりにたまって、発散の機会を探しているところへトランプ候補が現れた。その野放図な「タブー破り」の言動が(まさしく「タブー破り」であるが故に)ガスを抜く機能を果たした。
このガス抜き説で上記3つの謎が氷解する。まず、有権者の深層意識下の「抑圧された政治的欲望」が限界にまで高まっていたとすれば、暴言トランプの突然の出現は(本人の政治的野心や計算とは関係なく)絶好のタイミングだったことになる(←1番目の謎)。
そしてトランプの暴言が暴言であればあるほど(すなわち「抑圧された政治的欲望」に直接アピールすればするほど)、人気を博し支持率の急上昇をもたらすはずだ(←2番目の謎)。ただしそれはガスが抜けきるまでの話だ。ガスが抜けた後では(こころの中で再び顕在的な政治正義が優位となるので)、まったく同質の暴言がむしろ嫌悪と離反を招く結果となるだろう(←3番目の謎)。
有権者心理のダイナミズムを、以下でさらに分析しよう。
米国文化には、特有の政治的なダブルスタンダード(規範の二重性)がある。そしてそれが市民の顕在(意識)/潜在(無意識)の心理構造に重なっている。この点は以前にも本欄で指摘した(拙稿『米国の「健康正義」と「政治正義」』)。そこでは米国民の「健康正義」とその背後で抑圧されている(不健康な)食欲とに巧みに付け入るファストフードビジネスを採り上げた。しかしもちろん、それと同型の構造が米国の政治風土にも見いだせる点にこそポイントがあった。
これを敷衍(ふえん)すれば、まず顕在意識レベルにおいて、圧倒的な「政治正義」の優位があった(差別や不公正の現状を踏まえれば、それは社会制度としては当然だったわけだが)。結果「公に言ってはいけない本音」が、多くの有権者の潜在意識レベルに蓄積され、そのエネルギーは限界までに達していた。実際トランプほど典型的ではないが、たとえば共和党右派のティーパーティー運動にも、ガス抜きの兆候はあった。
顕在意識レベルにおける政治正義の圧倒的優勢と、潜在意識レベルにおける不満/鬱屈(うっくつ)の膨大な集積。これがかぎだ。そのたまりにたまったエネルギーを放散させる役割を、トランプが期せずして担ったというわけだ。
このガス抜き説はわかりやすく受入れられやすいが、いかにも粗雑で恣意的と批判されるかもしれない。そこで以下では理論的に精緻(せいち)化し、ある程度予測力を持つことを示そう。
ここで述べた心理機制は、もしお望みならフロイトの「精神力動理論」の枠組みで語ることもできる。とりわけそのエス/自我/超自我の考えと良くマッチする。フロイトによれば 「エス」とは原初的で生物的な衝動のことであり、端的に言えばむき出しの欲求や衝動だ。また「超自我」とは社会の倫理的な規範を、教育などによって内側に取り込んだ自己規律のルール群のようなものだ。「文化によって強制された良心」とも言える(本欄、上原昌弘氏による書評『憲法の無意識』参照)。
さてこのエスと超自我の間には、無意識レベルで多くの葛藤が生じる。「自我」はそうした葛藤を調整し統合する役割を担う。エスに引きずられがちで自己愛的な「自我」を「超自我」が倫理的に抑制するとも言える。この伝で行けば、人種差別的傾向は(過去の経験から来る攻撃性として)エスに無自覚に蓄積され、超自我としての政治正義との間に葛藤を起こす。
ここでひとつ肝心な点がある。それは「表立って口にする」だけで(つまり葛藤そのものを意識に昇らせ、注意の焦点を当てるだけで)葛藤はあらかた解消され、症状が消えることだ。これはフロイト以来心理セラピーでは常識で、統合失調などの「器質性」疾患では限定的効果しかないが、神経症やヒステリーでは著効を示すことがある。
神経症やヒステリーからのこうした治癒過程は、トランプ人気の動向と似ていないだろうか。
政治正義の圧倒的優位の中で「表立って口にできないこと」をトランプが堂々と口にしてくれた。それについて語ることが許されるようになった、それだけで葛藤を鎮める効果を持ったのだ。
ここで、「あれほど人種差別について禁忌の強かった米国で」と付け加えるべきかもしれない。というのも、抑圧される元の衝動(攻撃性)が強いほど、そしてそれに対する抑圧が強いほど、このガス抜き効果も大きいからだ。そして一度沈静化すれば、もはや同じような現象(異常な人気)は起きない。
ただし精神分析学は今日では、社会評論としては評価されても、神経科学的根拠はない、というのが通り相場だ。だが本稿の論点は、精神分析の枠組みに頼らなくても、より科学的に理解することも可能だ。
以下、次稿で。
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