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 いささか思わせぶりのタイトルとなっていることをお許しいただきたい。

 人工知能(AI)をめぐる議論が過熱している。個人的な述懐を記すと、私は1980年代の終わりの2年間(1988-90年)を米マサチューセッツ工科大学(MIT)の大学院で過ごしたが、当時もまたAIの議論が非常に活発だった時期で、御大マービン・ミンスキーの『心の社会(The Society of Mind)』が出版されたり、また日本でも『AIジャーナル』という雑誌が出たりしていた。「エキスパート・システム」といったことがよく言われ、病気の診断などはこれで全てできるので医者はやがていらなくなるという議論が盛んになされていた。

 その後AIの議論はかなり沈静化していったが、そうした大きな流れを思うと、昨今のAIブームやそれに関連する論議を、やや距離を置いて見たくなるのは私だけではないだろう。誤解のないよう記すと、決して私はAIについて特にネガティブにとらえているわけではなく、またSF的なものも含めて様々な未来社会論はある意味でむしろ好きなのだが、単にブームに便乗したような議論に対しては慎重であるべきだと思う。

拡大囲碁の人工知能「アルファ碁」と対戦する韓国の李九段=グーグル・ディープマインド社提供
 加えて、ここで行おうとしているのは狭い意味でのAI論そのものではない。むしろ、タイトルで掲げているような問いを一つの手がかりとして、「死」や「無」というテーマを新しい観点から深めていけないかというのが私の基本にある関心である。

 さらに言えば、後でもふれるように、近年の宇宙論ないし物理学などを中心に、「無」あるいは「死」というテーマが、いわば科学の“最前線”のテーマとして浮上しており、それを文理を超えた幅広い視点から掘り下げていくことが今こそ求められているのではないか、という点がここでの根本にある問題意識である。

AIは死の観念をもつか? AIは死ぬか?

 さて、まずタイトルにそくして多少の議論を行うと、これは「AIは死の観念をもつか」及び「AIは死ぬか」という二つの問いとして整理することができる。

 興味深いことに、実はこの問いについては最近出た『週刊ダイヤモンド』の「死生学(ないし死生観)」特集号(2016年8月6日号)が、人工知能学会会長の山田誠二氏(国立情報学研究所教授)に対するインタビュー記事(「人工知能は死を考えられるのか」)として端的に問いを投げかけている。

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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

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