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日本の大学教員・研究者は「忙しい」のがお好き?

「雑用」を減らしても別の「雑用」を探してくるという確信

佐藤匠徳 生命科学者、ERATO佐藤ライブ予測制御プロジェクト研究総括

 先月、WEBRONZAで古井貞煕氏が「忙しさに自滅する日本の大学:アメリカの教員と、これほどの落差」というタイトルで、客観的数値で見事な論説を書かれた。

 筆者も、25年あまりアメリカで研究・教育に携わった後に2009年に日本の大学で教授職に就いた時には、古井氏と全く同じことを感じた。アメリカでは、日本で一般に言われている「雑用」は事務の専門家、あるいは研究費を取れなくなってしまった教員が専門にやってくれるので、外部研究資金さえとってきてそこから自分の給料を払っている限りは、研究に専念できた。それが、日本の大学(筆者の場合は、奈良先端大学院大学なので学部はなく大学院のみである)では、教授や准教授は毎月一回「小学校の学級会のような」教授会に出席し、いいご年齢の博士号を持った大人たちが重箱の隅をつつくような議論を延々とする。はたまた研究室では、「小学校の先生」と同じように学生の「子守」をする。筆者のようにアメリカの大学でしか教員経験のない者にとっては、そこは大学ではなく「小学校」であった。

 当初は、大学の先生方も、そういうことは「嫌々」やっておられて、本当は研究に専念されたいのだろうな、と思っていた。しかし、数年間「観察」を続けてわかったのが、この方たちは、実は、そこまで嫌々ではないのではないかということだ。

 その根拠の一つは、あれだけ雑用をされていながら、それでも、学会や会議に出張される点だ。あえて忙しい道を選んでいるように見える。若手の助教クラスの先生方も、学生の教育(子守)で忙しいにもかかわらず、学会や研究会、その他内輪の集まりなどに頻繁に出張される。アメリカでは、出張で忙しいのは、超大物クラスの研究者で、いろいろな国際シンポジウムで講演を依頼されたり、アドバイザーや取締役で関わっている企業の会議に出かけて行かねばならなかったりするからであって、平均的な大学教員は、出張は非常に少ない。特に、若手の研究者は自分のラボで研究、そして学生の教育に専念する。

 もう一つの根拠は、「雑用」に対する日本人特有のとらえ方だ。日本人教員や研究者は、どうも自分だけ雑用をやらないと、周りから白い目で見られると感じるらしい。また、数多くの学会、研究会、会議に顔を出すのも、「村の寄り合い」には常に顔を出しておかないと、いろいろな局面で不利になると感じるかららしい。

拡大筆者がバケーションでよく訪れる沖縄・恩納村の風景=2013年5月31日、筆者撮影

 それに、日本人は

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筆者

佐藤匠徳

佐藤匠徳(さとう・なるとく) 生命科学者、ERATO佐藤ライブ予測制御プロジェクト研究総括

(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)佐藤匠徳特別研究所 特別研究所長。独立行政法人 科学技術振興機構(JST)ERATO佐藤ライブ予測制御プロジェクト研究総括・米国コーネル大学教授・豪州センテナリー研究所教授(兼任)。1985年筑波大学生物学類卒業後、1988年米国ジョージタウン大学神経生物学専攻にてPh.D.取得。ハーバード大学医学部助教授、テキサス大学サウスウエスタン医科大学教授、コーネル大学医学部Joseph C. Hinsey Professorを歴任後、2009年に帰国、2014年まで奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)バイオサイエンス研究科教授。2014年7月にNAIST退職後、2014年8月1日より現職。専門は、心血管系の分子生物学、ライブ予測制御学、組織再生工学。【2017年6月WEBRONZA退任】

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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