健忘症化、近視眼化と私たち自身の変容
2017年01月02日
前稿では、現代社会のブラックボックス化を、「仕組みや因果関係がわからない」「ブラックボックスが階層化する」「意図的な隠蔽が拡大する」という三つの側面から素描した。またそこから起き得る変化を「予測が当たらなくなる」「過去のブラックボックス化が起きる」「偽装が増える」という三つの予測にまとめた。
だがこれらの変化の深層には、より本質的な心理学的な変化がある。それを次の「予測4」としたい。
「膨れ上がったグレーゾーンを受け入れて、私たちは生きている」と前稿で書いた。私たち現代人の「ブラックボックスであっても受け入れる習性」はますます強まる。これが予測の4であり、また前記の予測1〜3を支える深層心理の土壌でもある。
安保法制をめぐる駆け引きや、自衛隊の海外派遣と「駆けつけ警護」、2020年東京オリンピック会場などの政治問題、あるいはアベノミクスにからむ経済政策論争。いずれも異論さまざまで、どれが正しいのか素人にも玄人にもわからない。また消費者レベルでも、クレジットカードのリボ払いをめぐり、知らない間に借金地獄にはまる被害が相次いでいるという。巨大化する情報の網の目がグレーゾーンを拡大し、そのはざまでの消費者の無知が搾取の対象となる。これもブラックボックス化のひとつの意味だ。
この最後の点についての考察を半歩だけ進めると、「実は私たち自身がブラックボックス化しているのでは」という疑問に行きつく。
そもそもブラックボックスには「入出力関係だけで記述できる存在」という含意がある。現代人はこの「ブラックボックスを受け入れる習性」を介して、自身がブラックボックスになり果てようとしているのではないか。
同じことを外から見れば、個々人の心が「入出力関係だけで記述できる存在」になる。そこに潜在マーケティングが付け入る隙(すき)もできる。
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