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将棋ソフト「カンニング疑惑」のインパクト

疑心暗鬼の深層心理

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 プロ将棋の三浦弘行九段「カンニング事件(?)」で、「不正の証拠はない」とする第三者委員会の報告書が出た(昨年12月26日)。

 三浦九段は竜王戦挑戦者に決定していたが、渡辺明竜王との七番勝負直前(昨年10月)になって疑惑が持ち上がった。(渡辺竜王自身を含む)複数の対戦相手から「対局中に離席し、スマホから将棋ソフトにアクセスしていたのでは」という疑惑が提起されたのだ。週刊文春に「疑惑の挑戦者」と題する記事が出る直前というタイミングでもあった。日本将棋連盟は急きょ三浦九段を年内出場停止とし、丸山忠久九段を挑戦者に昇格させた。

報告書の中身と、提起された問題

 連盟の委託を受けた第三者委員会の報告書の結論は、大きく二つある(報告書全文概要)。まず第一、不正の証拠は見つけられなかった。そして第二、とはいえ連盟の措置は事態の緊急性に鑑みて止むを得ず、不備はなかった、と。

 「不正の証拠」についてはさらに次の4点を指摘した。

1 不正の根拠とされた長時間離席行為の事実はなかった。

2 対局中に監視したが不審行為は認められなかった。

3 不正の根拠とされたソフトとの一致率は分析ごとにばらつき、根拠とはならない。

4 三浦九段のスマホなどを分析したが、疑われた対局で不正をした痕跡は確認できなかった。

 たとえて言えば「不起訴」になったわけだ。刑事事件の不起訴には(1)嫌疑なし、(2)嫌疑不十分、そして(3)起訴猶予の三つがある。今回のケースは「証拠」に問題があり、嫌疑不十分というより「嫌疑なし」に近いということだ。

記者会見で謝罪し、辞任の意向を表明した日本将棋連盟の谷川浩司会長=時津剛撮影
 その後、渡辺竜王が公式の場で「週刊誌の取材に応じたことで三浦九段らに迷惑をかけた」と謝罪し、谷川浩司将棋連盟会長が引責辞任することになった(スポーツ報知朝日デジタル他)。

 結局「限りなくクロに近い灰色」から「限りなくシロに近い灰色」になった感がある。本当に不正があったのか無かったのか、ここで問う気はない。そもそも「過去の出来事について、あったか無かったか、100%白黒をつけることはできない」から(第三者委員長、但木敬一弁護士の記者会見答弁)。また「年末までの出場停止処分」という連盟の緊急措置も、 週刊誌のすっぱ抜きに焦って振り回された感はあるが、筆者に論評する資格も関心もない。

 ここではただ次の2点に関心がある。そのまず第一は(「限りなくシロに近かった」とすると)三浦九段を疑った、というより「間違いなくクロと確信」してしまったプロ高段棋士たちに、何が起きていたのかという点だ(『将棋界を巻き込んだスマホ不正疑惑は「証拠なし」 羽生三冠、渡辺竜王......有名棋士はこんな発言をしていた』 )。そして第二は、人と人工知能(AI)の関係はこれからどうなるか、この事件の経緯からどういう予兆を見てとれるかという点だ。以下順を追って検討しよう。

疑惑はいかにして確信に変わったか

 さてまず第一の点から。今回の事件から読み取るべき最大のポイントは、AIが人に(それもプロ集団に)どれほどの脅威を与えたか、だ。

 かねてプロ棋士の間でスマホ不正の噂はあったが、最初に具体的な問題提起をしたのは渡辺竜王だった。

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