メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

科学者の社会的責任と学術会議の役割

「国のための研究」私はこう考える

須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)

 2月4日に、日本学術会議主催の学術フォーラム「安全保障と学術の関係:日本学術会議の立場」が行われた。一昨年来議論となっている防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」への対応を契機として日本学術会議は「安全保障と学術に関する検討委員会」を立ち上げた。その委員会での審議の中間報告をもとにして、日本学術会議がどのような立場をとるべきかについて、内外の意見を聴取する目的で開催されたのがこのフォーラムである。私も学術会議会員の一人として講演を行ったので、それも合わせて昨年12月12日の拙稿に補足する意見を述べてみたい。むろん前回と同じく、あくまで個人の意見であることをお断りしておく。

 まず結論を述べておこう。私は資料1*に示された委員長の原案(修正案ではなく)を全面的に支持する。それを受けて学術会議がなすべきことは以下の3点であると考える。

・過去になされた「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」(1950年)と「軍事目的のための科学研究を行わない声明」(1967年)の堅持の再確認
・防衛装備庁の安全保障技術研究推進制度には応募しないことの確認
・学術研究に対する研究費配分のありかたの再検討と、適切なサポートの実現への迅速かつ継続的努力

 この3点が、現在の日本学術会議の会員および連携会員の間での多数意見であることは確かだが、少数の強い反対意見が存在することもまた事実だ。したがって、それらの意見に対して真摯に耳を傾け、議論を尽くすべきであることは言うまでもない。そこで以下、しばしば耳にする反論とそれに対する私の意見を列挙してみたい。

1. そもそも基礎研究と軍事研究の線引きは不可能。だから、防衛研究に限定して認めれば良いではないか。そもそも過去の声明における「戦争を目的とする」、「軍事目的のため」は、防衛目的までを含んでいるわけではないのだから。

 厳密に言えば、基礎研究と軍事研究の間に明確な線引きをすることは不可能である。だからこそ、意図的に十分な距離を保つことで、両者が混在することを避けるように努力するべきなのである。

日本学術会議で開かれた学術フォーラム=2月4日
 また、防衛研究という範疇が存在するのであれば、それは上記の意味での基礎研究と軍事研究の中間に位置するはずだ。とすれば、基礎研究と軍事研究の線引きができない以上、より微妙な防衛研究と軍事研究の線引きができないことは論理的帰結である。だからこそ、防衛装備庁からの研究資金が発端となっている今回の議論においては、研究資金提供元を基礎研究と軍事研究の具体的な定義として採用するのが適切である。その場合、その分類は、善悪とか是非といった価値観に依存したものではないことを強調しておきたい。

2. アメリカでは基礎研究と軍事研究が共存するシステムがすでに確立しているではないか。それがアメリカの基礎研究の発展を支えている面は否定できまい。日本でもそのような体制を確立すれば良いだけである。

 実はアメリカでもほとんどの大学では、キャンパス内で非公開研究(軍事研究ではなく、その成果を研究者が全く自由に公開できるかどうかで分類しているようである。この定義にしたがった場合でも、今回の防衛装備庁の制度はその点が明確に保障されているとは言えないという意味で、非公開研究に対応する)は認められていない。一方、異なる敷地内に軍事に関係する研究所が住み分けられている場合はあり、そこでは軍事研究のみならず基礎研究もまた行われている。しかし、

・・・ログインして読む
(残り:約2765文字/本文:約4205文字)