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「食の安全」を五輪までに世界基準に引きあげたい

工程管理の導入が遅れる日本、消費者にも「基準値」の理解が求められる

唐木英明 東京大学名誉教授、公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長

 2020年の東京オリンピックを前にして、いまや世界基準ともいうべき禁煙社会の構築が議論されているが、その陰になって大きな話題にはなっていないもう一つの世界基準の課題がある。食の安全を守るシステムを、どのように日本に構築するかだ。世界標準から見れば、日本の食の安全システムはまだ発展途上である。

 まず、検査というものの難しさを考えたい。話を分かりやすくするために、こんな話からは始めよう。会合で提供する弁当を100食注文したのだが、安全性が心配になった。どうしたらいいのだろうか。

そもそも全量検査は不可能だ

 とりあえず頭に浮かぶのは、大腸菌、残留農薬、食品添加物、異物の混入くらいは調べたい、ということだろう。ところが検査したら、その弁当は食べられない。それでは100食の弁当のうち10食だけ検査しよう。その結果、検査した弁当には異常がなかった。それでも心配が残った。検査していない90食は安全なのだろうか。もし50食を検査しても残りの50食は検査していないので、やはり心配だ。結局100食全部を検査しないと安心できないのだが、そうすると食べる弁当はなくなってしまう。このように、多くの食品は「全量検査」が不可能だ。それではどうしたら「抜き取り検査」で安心できるのだろうか。

 そこで登場したのが、GAPとHACCPの実施である。原材料から製造段階までのすべての工程で、食品の安全を脅かす事態が起こりうるポイントをすべて洗い出して、それを防止するための厳しい管理を実施するシステムであり、農場段階の管理をGAP(農業生産工程管理)、製造過程の管理をHACCP(ハサップ)と呼ぶ。

2015年に開かれたミラノ万博の日本館フードコートで、日本食を楽しむイタリア人ら=山尾有紀恵撮影
 具体的には、農場段階では土壌や水の検査に始まり、農薬や肥料の使い方など多くの項目についてチェックし、その結果や対策を記録する。例えば農場の上に電線が通っていたら、そこに止った鳥の糞が農作物に落ちる可能性があるので対策が必要だ。製造過程では原材料や水の検査、加熱や冷却の状況、異物検査、作業室や保管庫の温度管理、作業者の健康など多数の項目についてチェックし、その結果を記録する。こうして製造された最終製品は、その一部を抜き取って検査し、安全性を確認する。すべての作業工程において安全性を確認しているので、最終製品は当然安全なものになる。だから抜き取り検査で十分である。これが「工程管理」の考え方だ。

日本の食材をイタリア政府が輸入禁止に

 実はHACCPは宇宙飛行士の健康管理のために作られたものだ。宇宙空間で飛行士が食中毒にでもなったら、巨額の予算をかけたミッションが失敗に終わるだけでなく、飛行士の生命にも危険が及ぶかもしれない。しかし全品検査はできない。そこで考えられたのが製造工程管理、すなわちHACCPだったのだ。

 現在ではGAPとHACCPは欧米諸国では一般的になっているのだが、日本ではほとんど取り入れられていない。厚労省は2020年を目指してHACCPを義務化する方向であり、農水省もまた2018年までに農地の7割でGAPを取り入れることを目指している。その理由は、欧米の基準に適合する食品でなければ東京オリンピックの選手村で採用されないだけでなく、欧米に食品を輸出することができないからだ。

 例えば2015年にミラノで開催された万博では日本館で提供する日本食が大人気だったが、そこで使うカツオ節がHACCP基準に合致していないという理由でイタリア政府の輸入禁止処分を受けている。「日本の食品は世界一安全」と信じている人にはショックだが、実は食品安全のシステムついては日本は後進国なのだ。

工程管理がなぜ日本で遅れるのか

 今年に入ってから和歌山県御坊市の幼稚園で患者数が800人以上、東京都立川市の小学校で1000人以上という大規模な集団食中毒が発生したが、その原因は焼きのりだった。ノロウイルスに感染した加工事業者が焼きのりを取り扱ったため、ウイルスが付着したとみられる。もし加工所にHACCPが取り入れられていたら、このような大規模の食中毒は防ぐことができたはずだ。

 日本で工程管理の導入が遅れた理由はいくつかあるが、その一つが「検査神話」だ。

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