福島原発事故災害6年の節目に学校教育・社会教育のあり方を考える
2017年03月09日
福島原発事故災害の受け止め方は人によって非常に大きな違いがある。まず、距離によって感じ方が全く異なる。例えば関西のような遠隔地、近隣地区、そして当事者という違いである。また、受けた教育や背景知識によっても感じ方は異なる。基本用語や数字・単位の意味を理解しないと、報道もデータも理解できない。しかしその意味が分かっても、何かが解決できるわけでもない。被害者は普段の生活に戻りたいだけだ。放射線の健康影響について「正反対」の言説が流布される中で、悩まれた方も多かったかもしれない。
今も関東の中学校で、あるいは関西の大学で、根拠なき差別や心なき偏見の言辞・行動が繰り返し報道される。それはなぜか。やはり教育の問題が大きいのではないか。困難が教育だけで解決できるとは思えない。しかし、学ぶことで変わることはあるはずだと思う。事故から6年の節目に、放射線に関する学校教育と社会教育について考えてみたい。
放射線と放射能・放射性物質についての理解は6年間で進んだだろうか。例を挙げよう。今年2月に見たある展示パネルに、こう書かれていた。「食品や土壌などに含まれる放射線量や放射能濃度を測定するための技術・機器の開発」。これを読むと、「放射線」と「放射能」が同じようなものと誤解しかねない。しかし、二つは全く別物である。
私は学生には「放射能を持った、放射性物質から、放射線が出る」と教える。放射能は強弱の数字。放射性物質は原子で自ら動かない。ガンマ線(代表的な放射線)は光の速さで飛ぶ素粒子のツブ。線量率は線量計で分かる。放射性物質があっても、土や鉄板、鉛板などで遮蔽したり、距離をとったり、時間を短くしたりすれば線量は下がる。「放射能」(原子数/半減期)は変えられないが、遮蔽・距離・時間で「放射線量」(被曝線量)はコントロールできる。これらを混同すると誤解が生じる。
日本の中学校・理科の教科書を過去に遡って調べると、かつて中学校でも放射線を教えていた時期があった。例えば1972年度まで使われた理科の教科書の一つは湯川秀樹らの監修で、
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