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共謀罪でテロを防ぐという発想は古くさい

平和国家で一番怖い「通り魔型の無差別殺傷」を防ぐには逆効果だ

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

 ロンドンでの大型トラック無差別殺傷から2週間しか経たないうちに、ストックホルムの歩行者天国で4月7日に大型ローリーを使った無差別殺傷があり、多くの死傷者を出した。ここは、その2ヶ月前に日本からの訪問者を連れて歩いた通りなので人ごとではない。

トラックが暴走した歩行者専用道一帯は、翌日も警察による封鎖が続いていた。路面には細かな破片が散らばり、オレンジ色の毛布が残されていた=2017年4月8日、ストックホルム、渡辺志帆撮影

 トラックが盗難車で、盗難の際に正規の運転手を傷つけての強奪であり、しかも明らかに殺傷を目的としたジグザグ走行の末、容疑者が事件直後に速やかに逃亡したことから、「不特定多数の非軍事関係者を殺傷する目的とする計画的行動」という意味では、ローベン首相の言う通り、確かにテロである(それがテロの定義だと私は理解している)。

 こうしたテロを防ぐという口実で、日本では共謀罪創設が議論されている。しかし、いったい共謀罪はテロ防止に役立つのか? むしろ逆効果ではないのか? というのも、近年世界で増えている無差別殺傷「テロ」がどのように実行されているのかを知り、誰にも止められない技術の発展ぶりを冷静に見つめれば、日本で起こりうるテロが「共謀」の結果として起こるという政府の言い分が全く根拠のないものだと分かるはずだからだ。

 今回のストックホルムテロで私が一番注目したいのは、IS(イスラム国)との関連よりも、たった一人で実行したこと、実行できてしまった事実である。そして、だからこそ、故ビンラディン容疑者曰く「テロを起こす気になれない」スウェーデンで起こってしまった事実だ。スウェーデンで起こるということは、日本でも起こりうるということだ。そこに私は「テロ」という曖昧な言葉で言い尽くせない怖さを感じるのである。

 今回の「テロ」は、テロというよりむしろ放火や銃乱射、通り魔などの、個人的衝動による無差別殺傷により近いと思う。米国では銃乱射大量殺傷事件が年一回以上起こっており、ロンドン事件にせよ、ストックホルム事件にせよ、被害の規模はそれに及ばない。それら大多数の個人テロをあまり耳にしないのは、ISがらみでないと(つまり「政治」テロでないと)、報道量が減るからだ。

 大型トラックやローリーを使った無差別殺傷はここ1年で頻発している。昨年7月のフランス・ニース(300人が怪我)から昨年11月の米国オハイオ州立大学、12月のベルリン、そして3月後半のロンドンと続き、ロンドン事件の翌日にはオランダで未遂事件(群衆の中を運転したけれど被害が出なかった)もあった。それらに触発されて、潜在的な不満を持っていた「予備軍」が衝動的に行動に移した可能性は少なくない。なんせ、単独で手軽に出来るテロだからだ。この種の衝動的行動の場合、政治的理由なんて単なる言い訳に過ぎない。

 一般市民にとっての怖さは、組織的テロと、通り魔殺人的な個人テロで変わらない。ところが、現在審議中の共謀罪の宣伝文句として使われる「テロ対策」のテロは前者だけを想定していて、後者を全く無視しているのである。以下に述べるように後者の危険度は年々上がり、最近のテロによる死傷者で、単独犯の割合が大きくなっているにもかかわらずである。

 ここで問題にしたいのは、

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