浅井文和(あさい・ふみかず) 日本医学ジャーナリスト協会会長
日本医学ジャーナリスト協会会長。日本専門医機構理事。医学文筆家。1983年に朝日新聞入社。1990年から科学記者、編集委員として医学、医療、バイオテクノロジー、医薬品・医療機器開発、科学技術政策などを担当。2017年1月退社。退社後、東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻修了。公衆衛生学修士(専門職)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
第1次世界大戦でドイツなどと戦った地中海の戦闘から100年
今年は旧日本海軍の艦隊が地中海に派遣され、英国の同盟国としてドイツなどを相手に戦ってから100年に当たる。英国の輸送船などを護衛する任務を果たした日本軍は、敵潜水艦の攻撃を受けて駆逐艦「榊(さかき)」の59名が戦死するなど大きな犠牲を払った。日英海軍の根拠地であったマルタ島には、今も日本海軍の戦没者墓地がある。私は今年2月、マルタ島へ墓参の旅に出かけた。
マルタ島は地中海のほぼ中央、イタリア・シチリア島の南にある。淡路島の半分ほどの面積。マルタ島を含むマルタ共和国は欧州連合(EU)加盟国。今年2月には米トランプ政権への対応などを話し合うEU首脳会合が首都バレッタで開かれた。バレッタはマルタ騎士団ゆかりの歴史的建築物が残る世界遺産の都市で、訪れる観光客も多い。
私がマルタに行くのは2009年、10年に続いて3回目だ。それには理由がある。
私の妻の祖父は海軍下士官だった。遺品を整理していたら、英国王ジョージ5世の勲章が出てきた。英国のために特別な貢献したということらしい。軍服姿の古い写真を裏返すと、バレッタの写真館の住所が書かれていた。祖父は100年前、長崎県・佐世保港から駆逐艦「松」に乗艦し地中海に派遣されていたのだ。
魚雷攻撃を受けた駆逐艦「榊」と祖父が乗った「松」は護衛任務で一緒に行動していた。祖父は生きて日本に帰ることができたが、帰れなかった戦友のためにお墓参りしたいというのが私たちの思いだ。
戦没者の墓は日英海軍の軍港だった場所に近い丘の上、英国海軍墓地の中にある。バレッタからバスで30分ほどだ。墓碑のまわりはオリーブの木が茂って心地よい木陰になっている。金属板に戦没者の氏名が刻まれている。私たちはひとりひとりの氏名を読み上げ、黙祷をささげた。
英国海軍墓地入り口の記帳簿には私たちの訪問前1週間で9名の日本人の名前があった。墓には花束が供えてあった。今年は100年ということで関係者が訪れているようだ。
日本海軍が地中海で戦ったことはあまり知られていない。友人に「なぜマルタ島に行くの?」と尋ねられ、「お墓参りに」と答えると、びっくりした顔をされる。第二次世界大戦では敵同士となった日本と英国だが、第一次世界大戦では日英同盟で一緒に戦った。遠くの地で犠牲になった戦没者がいたことを記憶にとどめておきたい。
1914年に始まった第一次世界大戦は、