脱炭素に伴う産業構造の転換は、戦後経験してきた自己変革と同じ
2017年06月14日
経済産業省の「長期地球温暖化対策プラットフォーム報告書(案)」は、「2050年80%減」という目標を、国内措置と外国での貢献の二本立てで実現する方針だ。
国内対策のみで実施すると、巨額のコスト負担や産業の衰退を起こしかねない、という理由からだ。三つの矢を駆使して外国に協力し、その低炭素化を図り、それを日本の貢献として算入し、日本の数字的な誓約を全うするという構造になっている。「国際貢献より国内対策が先」という考えは、「本末転倒だ」とも述べている。
外国の低炭素化に協力し、日本企業の商機拡大を図ることは、もちろん推進するべきだ。
しかし疑問もある。例えば、本当に日本の革新技術の出番は大きいのか? GHGの75%以上はわずか13カ国が排出している。残りの180カ国は微細な炭素経済国だ。これらの微細な炭素経済国が脱炭素に向かう時、まず、既存の低炭素技術(再生エネ導入)から始めるだろう。急速に安価になっているからだ。
日本は「相互協力による国際貢献の多寡を競い合う新たなゲーム」を、国際交渉で「仕掛けて」いかなければならない。一見して難しい交渉だ。「国内対策を国際貢献より先行させるのは本末転倒」としているが、成算があるのだろうか。
報告書は、官民の貢献を具体的に「見える化」することから始めるべきだと論じている。そして「我が国は自国の総排出量を超えて世界全体の排出削減に貢献するカーボン・ニュートラルを目指す」とも述べている。仮に、ダブルカウントを厳密には排除しないとか、計測の正確さを追求しないなら、そもそも国際合意は出来ないのではないか? そういう仕組みは世界の低炭素化には貢献しないという反論が交渉で提起されるだろう。いったい、どういう仕掛けなのか? 詳細を示すべきだ。
2050年までの時間軸のどの辺りで日本主導の国際合意が出来上がり、協力プロジェクトが実行され、貢献量の数値が確定するのか。本来なら既存低炭素技術の急速導入を進めるべき時に、三本の矢への期待感がそれを妨害するのではないか? 同じような構図の問題が日本ではいつも発生してきた。
もっと直截(ちょくせつ)に「日本脱炭素長期計画」を国民に提示して全国民の有為な行動を促した方が良策ではないのか? こちらの方が責任ある政策ではないか?
報告書は「50年80%削減という水準においては、農林水産業と2、3の産業しか国内に許容されない」と述べている。日本の将来にとって極めて深刻な展望について、これほど断定的な判断をした割には、その根拠となる証明的議論は皆無だ。
一方で、カーボンプライシング(炭素価格)が有効でないという議論については、複雑な証明的議論が行われている。報告書に客観性を持たせようとするなら、前者についても複雑な証明的議論が行われるべきだ。カーボンプライシングが有効でないという議論は、国際的には主流ではない。むしろ脱炭素実現への不可欠な制度はカーボンプライシングだという議論の方が主流である。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください