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「高カカオチョコ問題」と偽情報拡散の心理

人は、信じたい情報を信じようとする

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

 米国では政権中枢が、偽情報に基づいて意思決定し、発信までしている。ロシア疑惑や人事を巡って(真偽不明の)情報の「投げつけ合い」の様相だ。と思ったら日本でも似た問題が多発しはじめた。加計学園に関する文科省「怪文書」にしても、情報の真偽を巡る争いだ。

 「高カカオチョコレート」問題もそうだった。一見関係ないようだが、底流するものは共通している。オルターナティブ・ファクトの蔓延によって、事実の重み=客観的な検証の価値が宙に浮いてしまった。偽情報が蔓延する背景には何があるのだろう。

 偽情報の拡散というと、SNSなどの技術的な仕組みにまず目が行く。だがそれを受け入れ広める側の、潜在心理の土壌も無視できない。これが本稿の着眼点だ。

脳を若返らせる?

 まずは「高カカオチョコ」から入ろう。というのも客観的検証というなら科学的検証が第一だし、米国でも「トランプ vs. 科学」とでも言うべき事態が勃発している(日経サイエンス、7月号)。

1月21日の新聞各紙に載った明治の全面広告
 今年1月、大手食品会社の明治は内閣府と共同で、「高カカオチョコレートの摂取によって、脳が若返る可能性あり」と発表した(プレスリリース)。それによれば「実証トライアル」として成人男女に高カカオチョコを4週間摂取してもらった。その結果大脳皮質の量が増え、脳を若返らす可能性があることがわかったという。

 しかし科学メディア筋の評判は悪かった。その理由は以下の5点に集約される。

1. 論文の公刊なしの先走り発表だった。
2. 実験手続きや統制条件など、科学たる最低条件が揃っていなかった(だから成果発表ではなく研究のスタート発表、と一応断ってはいるが)。たとえば単なるカロリー摂取の効果ではないことを、他のチョコや食品を摂取した群と比較して示す必要があった。
3.「脳の若返り」というフレーズが、根拠があいまいなままひとり歩きした。
4. 内閣府が国家プロジェクトとして華々しく、製品の健康効果にお墨付きを与えたように見えた。
5. バレンタイン商戦直前のタイミングで、科学より商売優先の魂胆が見え見えだった。(科学的な視点からの批判としては以下を参照:詫間雅子「チョコで脳の若返り? 大いに疑問な予備実験での記者会見」YAHOO!ニュース、2月1日。)

 このように疑問だらけの「知見」だったから、大手メディアはほぼ軒並み黙殺、見識を示した。だがこれ、確かにちょっと魅力的な話ではある。実際キュレーションサイトやSNSを介して一気に拡散してしまった(「アエラ」4月24日号、他)。欧米でもよく見られる現象だが、大手メディアと新興キュレーションやSNSとの間に、大きな乖離が見られる。

脳が「若返る」とは?

 筆者自身も上記アエラ記事で、批判的な発言をしている。また専門的な立場から多少の説明義務も感じる。そこで以下3点に絞って、コメントしたい。

 まず第一に、専門家(認知神経科学者ら)が本来積極的に批評すべき事態だった。だがいろいろなしがらみから発言を差し控える空気があった。これは他の分野でも起き得ることだが、問題だ。行き過ぎをチェックし補正する力が十分に働いているか、問い返す必要がある。

 第二に、「脳が若返る」というフレーズがひとり歩きした。脳が若返るとは、そもそもどういうことか。それほど専門的に確立した表現でもない。

明治の発表データ。縦軸の目盛りを調整して、変化を強調している
 実際にこの表現を使った論文の中身を見ると、たとえば成長ホルモンによって神経伝達物質(アドレナリン、ドーパミンなど)受容体が活性化され、若い動物のレベルに戻る。また若い動物の血中成分を高齢個体に投与すると、皮質の血管組織と神経発生を促進し、嗅覚識別能力を高める。ただし動物の年齢など条件によって結果は大きく異なる。(ましてやより複雑なヒトで、神経作用も間接的なカカオであれば、いっそう条件依存的になるだろう。)

 いずれにせよ、認知機能(作業記憶や注意など)かその基盤となる神経生理過程の改善を示す必要がある。さもなければ「脳の若返り」という表現は不用意すぎる。

 第三の着目点として、

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