「核」と「通常」は科学史的にみて、まったくの別物であることを心に刻みたい
2017年08月07日
核兵器禁止条約が採択されたのに、そこに唯一の被爆国日本が参加していない。これは、きわめて不自然で納得がいかない構図だ。ただ、不参加を決めた人の視点に立てば、それなりに筋を通したということかもしれない。なんと言っても、日本という国は超大国米国の「核の傘」の下にいるからだ。自分は傘で雨をしのぎながら他人に傘をさすなとは言いにくい、ということなのだろう。
朝日新聞「声」欄(2017年7月17日東京本社版)にも、核禁条約加盟について「残念ながらまだその時期ではない」という意見が載っている。「条約の理念自体には賛成する」としながらも「今は日米韓の結束を強化し、北朝鮮に圧力を加えて核放棄を迫るのに専念する時」とみる立場だ。日本が今置かれる状況に意を払った誠実な主張であるとは思う。
だが、私は科学ジャーナリストとして、この現状認識に立ってもなお「核兵器禁止」の立場を鮮明にすべきだと考える。理由は、核兵器がほかの兵器とまったく異質なものであるからだ。そこには、20世紀の科学が凝縮されている。それは世紀の前半に物質界の深層を探りあて、その蓋(ふた)をたたき割って莫大なエネルギーをとりだす野望に火をつけた。最初の実例が原子爆弾だ。破壊力が強烈なだけではない。生命体の深層にある遺伝子までも傷つける。この遺伝子の正体がデオキシリボ核酸(DNA)の塩基配列であることを科学者が明らかにしたのは、世紀の後半だった。物質の深層が生命の深層を直撃する。そんな人間の制御を超えたものとして核兵器は出現したのである。
自然界の深層を探る方向性は、分析に重きを置く要素還元主義と言ってよい。これが、20世紀科学の主流だった。物理学で言えば、原子の実在証明から始まり、原子が核と電子でできていることを突きとめて(*1)、その核が陽子と中性子の集まりであることを見いだした(*2)。さらに、陽子や中性子がクォークという粒子3個から成ることまで確認したのである。これにならうように、生物学も細部へ分け入っていく。細胞→細胞核→染色体とさかのぼり、そのなかに詰め込まれているDNAの二重らせんを発見した。
ところが1930年代に*2の段階に突入すると、今まで知らなかった世界が見えてくる。日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹が34年に学会発表した理論(のちに中間子論と呼ばれるようになる)は、原子核で陽子や中性子を束ねている力が重力でも電磁力でもなく、未知の「核力」であることを理論づけた。このあと38年に見つかった現象が核分裂である。原爆も原発も、その核分裂によってエネルギーをとりだす装置だった。
この歴史を踏まえると、核兵器は通常兵器との間に明確な一線を引かなければならないことがわかる。
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