大谷剛(おおたに・たけし) 兵庫県立大学名誉教授(動物学)
兵庫県立大学名誉教授、神戸女学院大学非常勤講師。1947年、福島県生まれ。東京農業大学卒業後、北大大学院に進み、(有)栗林自然写真研究所、(財)東京動物園協会を経て、兵庫県立人と自然の博物館と兵庫県立大学を2013年に定年退職。専門は昆虫行動学。『ミツバチ』(偕成社)、『昆虫のふしぎ─色と形のひみつ』(あかね書房)、『昆虫─大きくなれない擬態者たち』(農文協)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
1本の昆虫針が標本に命を吹き込む
「夏休みといえば昆虫採集である」。昨今、これは少々古い感覚だが、昆虫に興じる子どもが減っているのを感じるのは何ともさびしい。「虫取り」と「昆虫標本づくり」の間には、実は大きな壁がある。狩猟本能にまかせて捕りまくる場合、捕った虫は死体にすぎないが、一匹一匹丁寧に形を整え、ラベルをつけ、標本箱に納めていく作業によって、虫の死体は「科学的な価値のある標本」に変貌する。その醍醐味を少しでも多くの人に味わっていただければと願い、今回は標本づくりの実際を解説しよう。
目的は昆虫の標本づくりだから、生かしておくと、足が取れたり、翅がやぶれたり、鱗粉が取れたり、将来の標本はどんどん痛んでいく。虫自体もお腹が空き、咽が渇き、もがき疲れて、何らいいことがないので、速やかに息の根を止めてあげたほうがいい。
昆虫採集は夏の間、午前中がいい。昆虫もカンカン照りは苦手だ。うっかり日向で日光浴などしていると、小さな体の水分が奪われ、カラカラの「乾燥標本」になってしまう。だから、最高温度になる前に、食事・交尾・産卵といった命をつなぐための活動をする。これを大型(できれば直径50センチ程度)の捕虫網で捕らえる。捕虫網は横に素早く振るのがコツだ。上から振り下ろすと、網の下から四方八方に逃げてしまう。横からすくって、虫が網に入ったら、素早く手首を返して網を枠に巻き付ける。この返しの技術がないと、せっかく網に入れても逃がすことになる。
次の動作は入った昆虫を網ごと効き手でないほうの手でつかむ。そして、効き手を網の入り口から侵入させ、虫の胸を背中側からつかむ。腹側からつかむと、しはしば噛みつかれる。
チョウ・ガだったら、胸部の筋肉を潰して「虫の息」にする。それ以外は毒瓶か毒管に入れる。「毒」には「酢酸エチル」という薬品が適している。虫は数秒から数十秒で死ぬし、死んだ昆虫は固くならない。酢酸エチルは子どもの手についたとしても揮発性が高いので、たちまち空中に飛んでいき、子供の口に入ることはない。最近、劇薬扱いとなり、なかなか手に入りにくいが、マニキュアを落とすときに使う「除光液」の成分に酢酸エチルを含むことが多い(匂いをかげば分かる)のでとりあえずの代用にはなる。
1.展足(てんそく = 6本の足を自然な形に整えること)
まず白い紙(広告の裏でいい)に酢酸エチルで殺した死体を大きさごとに分けておく。大きさに合わせて「昆虫針」を刺していくからだ。世界標準で4センチの長さの昆虫針は、00号がもっとも細く、その上が0号で、1~5号へと太くなっていく。
この昆虫針が一本昆虫の身体に刺さっていること。これが昆虫標本づくりにとってもっとも重要である。なぜか。