日本の報道自由度を回復するために
2017年08月23日
報道の自由は民主主義の柱である。権力を監視するウォッチドッグとしての自由な報道なくして民主主義社会は機能しない。
ところが国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)によれば、日本の報道自由度は急落し、2010年に世界11位だったものが、2016年には72位にまで落ち込んでいる。由々しき事態である。特定秘密保護法などの影響でメディアが自己検閲の状況に陥っている、特に安倍首相に対する批判などでメディアが独立性を失っている、というのがRSFの評価だ。
どうしてここまで貧したのか。記者クラブなどで仕入れた政府機関からの一方的情報をさしたる検証もなく垂れ流し、独自の調査報道が弱いことは、日本の報道の問題点として、つとに指摘されてきたことであった。そこに安倍一強政治が加わったことで事態が悪化した。霞が関の省庁がトップの人事権を内閣官房に握られ、時の政権の意向を極度に忖度するようになったのと同様に、記者クラブ制度に現在の一強政治の圧力がかかり、記者も忖度し、自主規制するようになったのである。
では、いかにして報道自由度の回復を図るか? 筆者は、「沖縄はなぜ伝わらないのか」を見詰めること、そしてそれを乗り越える方策を模索することが一つの道であると考えている。
沖縄は、日本社会が抱える矛盾が集約的に表れる特異点である。その沖縄に身を置いて日本社会を眺めれば、権力の何を監視すべきか、日本社会をより良いものにしていくためにどのような方向性を示唆できるか、おのずと明らかになってくるはずだ。
この国の為政者は、二言目には「沖縄に寄り添う」と言うが、沖縄の声を聴く耳を全く持たない。
憲法14条は「すべて国民は法の下に平等である」とうたうが、沖縄はいまだ憲法の恩恵に浴していない。1609年の薩摩侵攻以降の本土による沖縄差別が、1972年の本土復帰以降も連綿と続いているのである。
差別は政府によるものだけではない。一般国民による傍観、無視があるからこそ政府の明白な差別が大手を振るって罷り通るのである。「建白書」提出の前日の2013年1月27日、上京団は日比谷公園をデモしたが、彼らに浴びせられたのは「うじ虫、売国奴、日本から出ていけ」というヘイトスピーチであった。
この世で最悪の地獄と言われる地上戦を体験した沖縄は、二度と本土のための捨て石とはならない、また日米両軍の発進基地となって他国の人々を殺す手助けをしたくないとの考えから、米軍基地のみならず自衛隊による琉球列島全域の軍事要塞化にも反対する。軍事ではなく、平和外交によって対話を通じて東アジアに平和をつくることこそが人々の願いである。このほど亡くなられた大田昌秀さんがつくられた敵味方すべての犠牲者を刻銘する「平和の礎」は、まさにそのような考えに基づくものであった。
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