開催中の「モースと相模湾の生き物」展を見て、日本をこよなく愛した先達を思う
2017年09月16日
現在、「モースと相模湾の生き物」展が、神奈川県藤沢市にある日本大学キャンパス内で開催されている(9月30日まで、入場無料)。エドワード・S・モースといえば、大森貝塚の発見者として広く知られているが、本来は動物学者であり、特に貝類の研究が専門だった。後に述べる、モース著『日本 その日その日(Japan Day by Day)石川欣一訳』に魅せられていた私は、この「モース展」を大いに楽しんだ。
モースは、東京大学理学部の最初の動物学教授でもある。モースの初来日は1877(明治10年)であるが、私はてっきり、それが東京大学の招きによるものと思っていた。ところが彼は、シャミセンガイなどの腕足類の研究を強く希望しており、腕足類が極めて豊富ときいた日本に自ら渡ってきたという。そして東京丸が長旅を終えて横浜港についたその翌日に、東京に向かう汽車の中から、窓越しに大森貝塚を発見したというのだから驚きだ。米国ですでに貝塚や考古学にも造詣が深かったために、数千年ものあいだ野ざらしにされていた貝の「ガラクタ」をみて、一瞬にしてそれが貝塚とわかったらしい。モースは後に本格的な調査をして、大森貝塚が縄文時代のものであることを明らかにした。「縄文土器(rope-marked pottery)」は、モースによる命名だ。
丁度その頃、設立2ヶ月余りの東京大学が、近代的な動物学を教えられる学者を探していた。モースが日本にいるぞということで、彼に教授就任を依頼したことがきっかけとなり、彼は日本第1号の動物学教授になったのである。私も大学の動物学教室で教鞭をとる身として、感慨深いものがある。
モースがその後の日本に残した功績ははかりしれない。なんといってもその一番は、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください