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大森貝塚を発見した動物学者モースに首ったけ

開催中の「モースと相模湾の生き物」展を見て、日本をこよなく愛した先達を思う

高橋淑子 京都大学教授(動物発生学)

 現在、「モースと相模湾の生き物」展が、神奈川県藤沢市にある日本大学キャンパス内で開催されている(9月30日まで、入場無料)。エドワード・S・モースといえば、大森貝塚の発見者として広く知られているが、本来は動物学者であり、特に貝類の研究が専門だった。後に述べる、モース著『日本 その日その日(Japan Day by Day)石川欣一訳』に魅せられていた私は、この「モース展」を大いに楽しんだ。

 モースは、東京大学理学部の最初の動物学教授でもある。モースの初来日は1877(明治10年)であるが、私はてっきり、それが東京大学の招きによるものと思っていた。ところが彼は、シャミセンガイなどの腕足類の研究を強く希望しており、腕足類が極めて豊富ときいた日本に自ら渡ってきたという。そして東京丸が長旅を終えて横浜港についたその翌日に、東京に向かう汽車の中から、窓越しに大森貝塚を発見したというのだから驚きだ。米国ですでに貝塚や考古学にも造詣が深かったために、数千年ものあいだ野ざらしにされていた貝の「ガラクタ」をみて、一瞬にしてそれが貝塚とわかったらしい。モースは後に本格的な調査をして、大森貝塚が縄文時代のものであることを明らかにした。「縄文土器(rope-marked pottery)」は、モースによる命名だ。

 丁度その頃、設立2ヶ月余りの東京大学が、近代的な動物学を教えられる学者を探していた。モースが日本にいるぞということで、彼に教授就任を依頼したことがきっかけとなり、彼は日本第1号の動物学教授になったのである。私も大学の動物学教室で教鞭をとる身として、感慨深いものがある。

 モースがその後の日本に残した功績ははかりしれない。なんといってもその一番は、

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