米国を震わせた「スプートニク・ショック」から60年の歩みとこれから
2017年10月04日
10月4日は人類初の人工衛星スプートニクが打ち上がった日だ。1957年のことである。それは奇しくも南北両半球まとめて地球を総合的に観測すべく、世界規模での国際協力が行なわれた国際地球観測年(IGY)の開始年(7月1日)でもあり、それに参加すべく日本が南極観測を始めた年でもある。当時、スプートニクに始まる人工衛星が、地球観測に今ほど不可欠になるとは誰も思わなかったかっただろう。
IGYでは観測の多くが人力であり、拠点を置くだけで金がかかるものだった。そして、終戦から10年余りしか経ていなかった当時、どこも経済的に厳しく、国際協力キャンペーンの2年間だけ観測網を展開するのがやっとで、南極昭和基地のような例外を除けば、多くの臨時観測点が閉鎖された。大国である米国と旧ソ連ですら、臨時観測点を閉鎖し、そのほとんどは復活しなかった。たとえば、私が1990年にオーロラと地磁気の素直でない関係を調べようとした際に、1957-1959年の記録を精査せざるを得なかったことがある。
しかし、地球システムを理解するのに2年はあまりにも短い。特に地球に流入する太陽エネルギーに対する反応は、わずか2年のデータだけで分かるものではない。いわゆる11年周期と呼ばれる太陽活動周期(10-13年単位の黒点活動の増減と、それに伴う光や粒子・電波など各種エネルギー放射の変動)や、それより長い100年単位の変動(これが地球の平均気温に影響を及ぼす)、それより長い時間のかかる変動を経ているからだ。その理由だけでも、IGYで展開されたのと同等のレベルの観測が長期にわたって必要だ。
しかも、人間の生活にかかわる、狭いスケールの現象(例えば集中豪雨やオーロラに伴う停電)を理解するには、IGY当時とは比べものにならないほど稠密な観測点が必要となる。それを限られた国家予算の中でいかに実現するか。それは科学・実用を問わず地球観測における最大のチャレンジのひとつだ。
その一つの方向性が、観測の自動化だ。たとえばアメダスがそうだ。これによって、25kmメッシュでの観測が可能となっている。放射線観測網もドイツなどでは全国を覆っている。日本もその気になればアメダスに乗せるだけで安価でできるが、縦割り行政の弊害で全くすすんでいない。また、レーダーなどによるリモートセンシングも有効で、こちらは局地豪雨などの微細現象の把握に役立っている。
しかし、これらは人口密度の高い日本では有効な解決策であっても、人のいない海や南極・北極での観測には使えないし、オーロラのような超高層現象でも高価すぎる。そこで登場するのが人工衛星だ。
その役割は、オーロラを起こす原因の探究のように、宇宙という場所での直接観測が必須の対象に限らない。すでにスプートニクからわずか2年で、人工衛星から地球を撮影して、気象などを探るミッションが米国で始まっている。ただし、当時の人工衛星に期待された役割は、あくまで上空のモニターや調査であり、実用に応用するにしても地上観測に基づく天気予報などの補助というものだった。
もちろん、地上や地下を精査するなら、現地調査や航空機による調査の方が精度が高い。しかし、それは限られた範囲だけの調査が限界となる。
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