選挙と原発に共通してあふれる「不誠実な論理」をめぐって
2017年10月25日
衆院選の最終日となった10月21日、4党首の街頭演説を聞きに行った。街頭演説は、語られる内容と政治家の語り方、どんな聴衆が多いのか、その反応、場の雰囲気、通りがかった人の様子、興味深い対象は尽きない。
今回の選挙では、原発政策についての政党や候補者個人の考え方も関心事だった。その点にも注意して聞いていたが、短い演説のなかではあまり語られることがなかった。ただ、演説や党首討論などでの政治家たちの発言を聞いていて、ふと、原発の安全を巡る議論での理屈付けと、どこか似ているところがあると感じた。
近年、政治家たちの発言は、ネットで拡散されることもあって、特異な発言や失言が広まりやすい。そのなかには、対抗陣営の政策を批判するもの、あまり品が良くない言い方もある。聞く人の立ち位置によって、健全な批判なのか、悪口なのかは変わってくるだろうが、事実ではないことも平気で話す人もいる。その場で受けるために口が滑るのか、意図的に何かを印象づけようとしているのか、単なる思い込みなのか。最近は「フェイクニュース」「オルタナティブ・ファクト(もうひとつの真実)」という言葉でくくられて注目されるが、演説を聞きながら、こうした実態はずっと以前からあったと思い返した。
初任地で、選挙の時に、親しかった議員の地元に取材に出かけ、演説を聴き、その後、選挙事務所に顔を出したときのことだ。楽勝ムードでもあったので、議員には余裕があり、事務所の会議室で他選挙区の情勢などの雑談となった。
ふと、演説で話していた内容に、おかしな点があったので疑問を投げかけると、2人だけで話している気軽さからか「あんなの適当ですよ。いかに人を引きつけるか、ですから」と言い切った。さらに、帰り際、机上に置いてあったパンフを見ると、地域では誰もが知る有名な人物の「推薦文」が顔写真とともに載っていた。「よく、書いてもらえましたね」と尋ねると、「そんなわけないじゃないですか。自分で書いたんですよ」と悪びれず話していた。
とても田舎の狭い選挙区で、外の人の目に触れることがほとんどないので、好き放題だった。
1990年代の衆院選で、選挙事務所や地元の取材をしていたら、いろんな噂や陰口を聞かされ、怪文書も目にした。「あの議員は、金持ちで豪勢な暮らしをしている」「地元の自動車会社の社員が選挙を支えているのに、東京では別の会社の自動車に乗っている」「あの候補は、役人時代は優秀だったという触れ込みだが、左遷されていたらしい」。内容よりも、そうした風説を広める行為が不愉快になるものだった。「選挙のプロ」と言われた人に、「あんなもの逆効果ではないのか」と尋ねたら、「いや、信じる人もいるし、ボディーブローのように効いてくるんだ」と話していた。とはいえ、当時は、それらは水面下での出来事だった。
最近は、悪口や不正確な言葉が、影響力のある人の口からも頻繁に出るようになっている。ネットで拡散も早まっている。ただ、一方で事実関係を確認して伝える「ファクトチェック」をする報道機関や組織が増えてきたので、政治家の発言はもちろん、匿名をいいことにネットで広めようとするウソがばれやすくなった。ファクトチェックの判定そのものに対する反論もあるが、こうした手法が広まってきたのは、ウソに対抗する手段として好ましい。初任地で目にしたような選挙パンフや悪意ある噂、怪文書のような不誠実な行為への対抗策として有効だろう。
ただ、明確に事実ではないことはチェックしやすいが、問題は、発言した部分では真実を語っているけれど、物事を全体的としてとらえると、正しくなかったり、誠実ではなかったりする例があることだ。
衆院選で朝日新聞が行った「ファクトチェック」では、
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