「もったいない」精神が邪魔している現状を憂える
2017年12月01日
所有者不明の不動産や、地価の下落に伴い引き取り手のなくなった不動産が「負の遺産」(負動産)と化していることに注目が集まっている。しかし、解決に向けた動きは鈍い。私のいるスウェーデンでは持続可能性の観点から負の遺産は出来るだけ早く清算しており、私から見ると日本の現状が歯がゆくて仕方ない。歴史や税制などさまざまな要因があろうが、私はその中に日本人特有の「もったいない」精神を含めたい。というのも、やみくもな「もったいない」が持続可能性を阻むからだ。
「持続可能」という概念は、元々は環境・資源問題における「今は繁栄出来ても、それが子孫の財産を食いつぶして成り立っているのなら間違いだ」という問題提起から生まれ、今では社会構造や経済全般にも及ぶ基本となっている。持続可能な社会を維持・成長させる上で、負の遺産を残さないことは不可欠だ。道路や橋、ダムなどの社会基盤(インフラ)を造るときも、負の遺産にならないように考える。これらは欧州では常識だ。
インフラは高度になるほど維持コストが高くなる。しかも、その費用をケチると、災害の元となる。例えば、使わないアスファルト道は、アスファルトを早めに外して水の通り道を確保しないと自然災害を悪化させる要因となる。橋はメンテナンス(維持管理)を怠ると崩落の危険が高まる。維持コストをかけられないインフラは経済的にも防災・環境的にも「負の遺産」なのである。
私の住むキルナ市では、鉄鉱山の地下伸深に伴って、崩落危険区域が街の一部にさしかかっているが、その上の建造物や道路、橋などインフラはコンクリートやアスファルト、側溝に至までことごとく除去している。崩壊しはじめてからの除去の方が遥かに困難だから、「負の財産」として早めに処理するのである。
将来の維持費の抑制が必要だという発想は日本でも議論されたことがあった。たとえば、九州新幹線が全通した時、鹿児島本線の沿線のうち人口密度の低い区間で、電化を止める(架線を外し変電所も閉鎖する)案があった。ディーゼルだけにした方が維持コストは圧倒的に安いからだ。結局いろいろ理由を付けて電化したまま残ったが、それが長い目で正しい判断だったかどうか。
ドイツでは、かつての複線をあえて単線にして線路を外した路線がある。幹線系統の変化に伴って、その線の重要度が落ち、複線を維持するコストに見合わないと判断されたからだ。道路の例だと、私がかつて住んでいたアラスカでは交通量次第で高速道路すら舗装しない場合があった。砂利道の方がアスファルトより維持管理が簡単だからだ。
ところが、日本は、赤字国債という子孫に借金を押し付ける手法を乱用して、(雇用対策という名の元に)維持が困難なインフラを平気で作る。その意味では「持続可能性ゼロ」の国だ。小泉政権と民主党政権がようやくブレーキをかけたのに、それを否定して大型公共工事を押し進める安倍自民党が国政選挙で大勝を続けている。国民の大半が持続可能性を全く考えていないとしか思えない。
問題はインフラに限らない。転売が事実上できない土地や、持ち主がはっきりしない土地も、災害にもろい存在として国土保全に支障をきたす。そればかりか衛生管理なども行き届かず、地域社会にとっても「負の財産」となる。つまり「処理」を遅らせれば遅らせるほど、持続可能性の障害となる。
それなのに、日本では「処理」が難しい。その元凶は
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