なにごとにも誤差がある――2018年、科学者にはそう言ってほしい
2018年01月01日
今年はこうあってほしい、と願うことがある。ひとことで言えば、エラーバー社会の実現だ。エラーバーは理系用語。実験や統計のグラフで誤差範囲を示す棒線のことをいう。なにごとにも誤差はある――このことは数値に厳格な科学者でも、いや厳格な科学者だからこそ強く認識している。これは、科学記者OBの私が実感してきたことだ。「誤差あり」の認識を科学者でない私たちも共有することが、寛容で柔軟な世の中をつくる第一歩にならないか。そう思えてならない。
こんなことを言うのも、つい最近、「ついにここまで来たか」とあきれる出来事があったからだ。東京都心と茨城県の筑波研究学園都市とを結ぶ「つくばエクスプレス(TX)」南流山駅で起こった「20秒早発」事件だ。去年11月14日の午前中、定刻9時44分40秒発の下り電車が9時44分20秒に出発したという。これを受けて、運行会社の首都圏新都市鉄道は「お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と公式サイトのニュースリリース(同日付)で謝った。
この一件には、昨今の日本社会が凝縮されている。一つは、謝罪の過剰感だ。最近は、問題が起これば、とりあえず責任者が出てきて「ご心配、ご迷惑」の段を謝るのが危機管理の定石となっている。もう一つは、極端なほどの杓子定規(しゃくしじょうぎ)。こちらはマニュアル至上主義とも言えるもので、決まりごとの一言一句や基準の数値に過度にこだわる傾向が強まっている。鉄道ダイヤから20秒ずれただけで詫びるというのは、この二つが結びついた象徴的な事例と言えよう。「ついにここまで……」と思う所以である。
まずは、謝罪が本当に必要だったのかどうか、の判断だ。このときに忘れてならないのは、鉄道の利用客が列車の運行にどのくらいの精度を求めているかを見極めることだ。駅の発車時刻表はふつう「……分」までしか書かれていないから、利用客は「……分」発の列車に乗ろうと思い、時計の表示が「……分」になる前にホームに着くよう心掛ける。だから20秒のずれに、それほどの意味はないように思われる。
さらに言えば、大都市圏の電車は数分間隔で走っている路線が多いから、1本乗り遅れてもその実害は小さい。現にTX南流山駅の時刻表を首都圏新都市鉄道の公式サイトでみると、早発事件があった当日の当該時刻、下り電車は4分間隔で運行されていたことがわかる。今回のニュースリリースには、当該列車に乗れなかったというクレームが同日夕現在でなかった旨が書かれている。「深くお詫び」の必要があったかどうかは考えどころだ。
もう一つ、心にとめるべき現実がある。電車が駅に停まるときの様相は日々変わるということだ。
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