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中国が科学で世界一になる時代

上海から日本の未来を考える

須藤靖  東京大学教授(宇宙物理学)

 2017年12月に、太陽系外惑星に関する上海の国際会議に出席した。すでに様々なところで繰り返し述べられていることではあるが、中国の発展の凄まじさを改めて実感したので、その体験をいくつか紹介してみたい。

 私が初めて中国を訪れたのは今から20年前の1998年。ドイツのマックスプランク協会が上海天文台に宇宙論のグループを設立することになり、その準備を兼ねた国際会議を開催した。当時、私の研究室で博士研究員をしていた景益鵬氏が2年後にそのグループリーダーに抜擢されることになったので、その会議に招待されたのだった(彼はその後も優れた研究を継続し、数年前に中国科学アカデミー会員に選出されたほどの大活躍をしている)。

研究レベルは着実に進歩

 正直なところ、当時の中国の天文学研究レベルはかなり低かった。その会議でも、中国側の研究発表は年長者ばかり。すでにあまり意味がないような古いテーマを、しかもほとんど聞き取り不能な英語でしゃべるのみであった。もちろん優れた中国人研究者も参加してはいた。しかし、彼らはほぼ例外なしにアメリカやヨーロッパで学位を取得し、外国にとどまって研究を続けていた。当時は、特に優秀な層ほど、中国に帰って研究するという発想など論外だったのだ。

拡大国際会議の冒頭であいさつする景益鵬氏=筆者撮影

 この会議のみならず、初めて上海を訪れた際に私が受けた印象はかなり強烈であった。信じられない数の自転車が道路を占拠している。バスや車の運転は荒く、信号が赤になり歩行者が道路を横断し始めようと、止まる気配はない。横断歩道では緊張しながら全力で走った。街中の至る所でビルが建設中で、土埃だらけ。そのなかを、自転車の荷台に生肉を平気でくくり付けて配達中の人々をしばしば見かけた。にもかかわらず、衛生状態を疑うようなお店であろうと、驚くほど美味しい料理をしかも日本の20分の1から30分の1の値段で提供してくれた。

 観光客向けの店で、お土産を買おうとしたところ、女性がレジの前の机に顔を伏せたまま眠りこけていて起きる気配がない。何度も声をかけたあげく、ようやくその奥でおしゃべりをしていた別の女性が近づいてきて、のろのろと対応してくれた。しかし、支払いの際にはお釣りを投げつけるように返された。客などありがたいどころか、逆に労働をさせられる邪魔な存在だったのだろう。

拡大上海の外灘の向こう岸に林立する近代的ビル=筆者撮影
 19世紀後半から20世紀前半における外国人居留区であった外灘は、上海の有名な観光地の一つである。川を隔てた向こう側には当時からすでに多くの高層ビルが立ち並ぶ、近代的エリアとなっていた。景氏によれば、船で5分もあれば向こう岸に渡れるというので、行ってみることにした。改札は無人だったので購入した切符を投入口に入れると、どこからか「謝謝」という声がする。しかしどこにも人がいる気配はない。驚くべきことに切符を投入すると自動的に音声が流れる近代的仕組みだったのだ。景氏と一緒に「上海で親切なのは機械だけだ」と大笑いしたことをよく覚えている(むろん、今や中国のサービスのレベルは著しく向上しており、さすがに日本ほどではないにせよ、欧米の平均レベル程度にはなっている。)。

 その後、今回を含めて中国には5回訪問した。そのたびに、研究レベルが着実に進歩していることを実感した。過去20年間にわたり、中国政府は景氏のように外国で活躍した研究者を呼び戻す方針を立て、多額の資金を注入した。高給で迎えられた彼らは、新たなグループを次々と立ち上げ、そこには若い優秀な中国人学生が集まった。しかも彼らは在学中に1、2年間、ヨーロッパやアメリカの大学に滞在して共同研究をし、場合によってはそこで学位を取得する体制まで確立している。おかげで、中国国内の学生や博士研究員の研究と英語のレベルが著しく向上した。

 そもそも、中国のトップレベルの学生は、意欲と自信に満ちており、熱心というよりもむしろ貪欲に研究する。その迫力は、少なくとも私の周りの日本人(私自身も含めて)とは雲泥の差である。実は、太陽系外惑星の研究グループはまだ中国にはほとんど存在していない。一方、この分野には、中国出身でアメリカの主要大学の教授として活躍している研究者が数多い。彼らは、中国の大学の客員教授を兼任しながら、多くの中国人学生や博士研究員を指導し、さらにアメリカで受け入れることで、最先端の研究を展開している。この分野は、歴史的には日本の研究レベルがかなり高いのだが、外国で活躍する中国人による研究まで合わせれば、中国はすでに日本を凌駕してしまった感すらある。

世界の覇権を握る戦略

 さて、過去20年間でなぜ中国の科学がここまで飛躍的発展を遂げることができたのか。これはすでに数多く議論が展開されているはずなので、ここでは私が直接見聞きした現場からの印象に限って紹介してみたい。

 【A 政策】 中国政治家のトップはほぼ理科系出身で占められている。そのためかどうかはわからないが、科学・技術の発展を通じて、中国を世界一の大国にするという意思が確立し共有されている。つまり科学を発展させることは良いことだ、などといった甘い価値観ではなく、それ自身が国家にとって本質的な「投資」だとみなされている。
 巨額の予算を要する科学プロジェクトが比較的容易に認められる。特に、「世界一」というスローガンをもつプロジェクトは最優先である。科学・技術の発展を通じて中国を世界一にするための人材を育成する大学には、過去10年以上、毎年の中国の経済成長率以上の割合で予算が増額され配分され続けている。この間、大学の運営交付金が1割以上削減された日本とは雲泥の差である。

 【B 予算】 さらに科学・技術研究には中央政府のみならず、市からも独自に巨額の予算措置がなされる。特に大都市にある有名大学は、中央政府からの交付金と同額以上をそれぞれの市からも支給されている。北京大学や上海交通大学には北京市や上海市に居住していない学生の入学定数が厳しく決められている(実は、東京大学に入学する中国人学生のかなりの割合は、中国のトップ大学に入学が制限されている地方出身の優秀な学生層なのである)。
 これには不公平であるとの批判も多い一方、大学がそれぞれの市の多額の税金によって援助されている事実の反映でもある。このように、大学や科学・技術研究には、企業はもとより、様々なレベルの公的組織や団体から手厚い財政的サポートがなされている。これもまた、基本的には政府機関に財布の紐をきつく縛られている日本の大学とは雲泥の差である。

 【C 報酬】大学教員の給料が高い。過去数年間で平均的に5割以上は増額されている上、最近中国で高騰している住宅が格安で提供される(かつては5年以上勤務すると、借りていたアパートの所有権を得ることもできた。上海や北京の中心部にあるそれらは今では一億円以上の資産価値となっているものもあるらしい)。さらに、 ・・・ログインして読む
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筆者

須藤靖

須藤靖(すとう・やすし)  東京大学教授(宇宙物理学)

東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。第22期・第23期日本学術会議会員。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に『ものの大きさ』、『解析力学・量子論』、『人生一般二相対論』(いずれも東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『三日月とクロワッサン』、『主役はダーク』『宇宙人の見る地球』(いずれも毎日新聞社)などがある。

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