下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授
カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
歴史の情報実体化は、今も進行している
「情報の実体化」が社会の駆動力になっている。トランプの大統領選勝利や偽ニュースなど、今さら指摘するまでもない(本欄拙稿「偽情報が『偽』にならない現代ネット社会」「『高カカオチョコ問題』と偽情報拡散の心理」)。今話題のビットコインや機密通信用の量子暗号(読売、12月27日)なども、情報の実体的な価値に関わる。
最近の三面記事では、実在しないレストランが格付けトップになったという(AFP時事、12月8日)。情報実体化とはすなわち、存在しないモノが実世界で威力を発揮することだ。そこに関心を持つ筆者にとって、今年もっとも衝撃的だった読書経験を紹介したい。歴史=人類の記憶における情報実体化の威力を示す例だ。
史家・吉村豊雄氏の著書に基づく「天草四郎はいなかった」という記事に目が向いた(朝日デジ、11月12日)。教科書にも出てくる島原の乱の首魁(しゅかい)、天草四郎は「実在しなかった」というから驚きだ。
島原の乱とは幕末、島原・天草地方で隠れキリシタンが数万人規模で蜂起した叛乱だ。いわゆる百姓一揆とはちがって領主に対する要求は一切なく、動機となったのは禁教・弾圧への抵抗と殉教だった。脱藩した家臣=キリシタン牢人たちが、村落に潜む転び(隠れ)キリシタンの農民を扇動したらしい(吉村豊雄『百姓たちの戦争』清文堂)。当初は優勢で鎮圧軍の幕府上使を討ち、幾度も城を攻めた。しかし最後は廃城に追い詰められ、松平信綱(後の「知恵伊豆」)の軍によってせん滅された。
天草四郎の正体は謎めいている。周囲の首謀者たちは出自がはっきりしているのに、本人については間接的な伝聞証言しか残っていない。そもそも乱の当初から、その名が現れるわけではない。上記の脱藩牢人らは、乱の数年前からキリシタン復活の活動を始めていた。隠れ(転び)キリシタンの村里を巡り奇妙な教えを説く「若輩の童・十六、七のわっぱ」たちの姿が、度々目撃されている(脱藩牢人の子弟と思われる)。 「四郎殿と申して、十七、八歳の人が天より降りてこられた。(略)やがて信者をお迎えにこられるので、忝(かたじけ)なく思うように」という教えが広まった。やがて一揆勢が立てこもる原城が取り囲まれ、状況は絶望的になってからも連日、四郎の督励は兵に伝えられた。「益田四郎ふらんしすこ」名で檄(げき)文も残っている。にもかかわらず、城内中央の教会建物にいるはずのその姿が、実は目撃されていない。四郎は城中で秘められ崇められて「神」となり、結束は強まった。ただ四郎の周囲を固める「若衆・小姓たち」が、多々目撃されている。なぜかその出で立ちはいずれも立派で、互いにそっくりだったという。
乱鎮圧の後、幕府軍の各大名はこぞって「一番乗り」を主張し、「四郎の首」を証拠として差し出した。その数、なんと十数に及んだ。結局、熊本藩細川家の首が四郎のものとみなされた。その吟味の過程で「四郎に関する情報が集められ、当初あいまいだった存在が補強されていった」。それゆえ「それらしい人物はいたかもしれないが、限りなく創作に近い人物」というのが吉村氏の見解だ。
前出の「若衆」は、何者だったか。一揆勢の中から選ばれた「少年宣教オルグ集団」であり、次に天草四郎の周囲を固める若衆・小姓となり、事後には伝聞証言を通じて四郎そのものの存在証明となった。「 いわば、彼らのすべてが天草四郎だったと言っていい」(同上)。 天草四郎はユニット名だったというのだ。
そのように「描かれた」天草四郎を必要としたのは、誰だっただろうか。