入学試験に完璧はありえないという事実を理解すべきだ
2018年02月09日
最近、大阪大学と京都大学で立て続けに過去の入試問題の不備が発覚し、1年前にさかのぼって追加合格を出したことが話題となっている。私は今回の件を出題者の責任だと切り捨てるつもりは毛頭ない。問題の本質は、「大学入試制度は完璧であるべきで、得点の1点差が重要である」という間違った思い込みにあるのだ。これは私の年来の主張であり、以前からこうした意見を繰り返し述べてきた。したがって、これから書くことが決して言い訳や弁明などではないことはあらかじめ強調しておきたい。おそらく今回の件に関係した大学の方々はしばらく本音を言うことはできないであろう。そこで、あえて私が現場の一教員の意見を伝えてみる。
ただそれとは関係なく、大阪大学には早い時期に外部から指摘があったとのことなので、それに対して真摯な対応を怠ったことは大いに反省すべきだ。そもそも、私は自分が担当した問題に対する複数の予備校の入試解答速報はすぐさま確認してきた。幸い、今までは想定以外の解答はなく、そのたびに本当に安心して、採点に進むことができた。しかしもし今回のように予備校によって解答が異なるというような事態が起こっていれば、すぐさま出題委員の間で議論し対処したであろう。
まず京都大学のホームページで公表された「平成29年度京都大学一般入試 理科(物理)における入試ミスについて」から引用しよう。
問題作成段階においては、出題委員による11回にわたるチェックを行い、さらに試験当日に問題作成に関わっていない教員による解答作業により点検に細心の注意を払ったが、ミスの発見には至らなかった。
さらに、朝日新聞によれば、この出題委員は14名であったと書かれている。ここからわかるように、入試問題の作成にはすでに膨大な労力がさかれている。したがって、今回の事例を、出題委員の怠慢だけに帰しては、本質を見失う。
そもそも、入試問題作成は、教員にとっては、労多くして功の少ない業務の典型例である。時間をかけて独創的な問題を作成しても、高校の指導要領の範囲内で本当に解けるのか、他の解答の可能性はないのか、など、すぐにはわからない数々の確認事項がつきまとう。一方で、それらをクリアして素晴らしい問題が完成したとしても、守秘義務のために作成者がプラスの評価を受けることはない。14名×11回分もの膨大な時間を、学生の教育や研究に当てられたら何ができるか、想像してほしい。
そのような状況にもかかわらず、問題作成は現場の担当者の「出来る限り、優れた学生を入学させたい」という善意の使命感に支えられている。随分昔のことであるが、私が問題作成委員だったとき、こんな経験をした。
まず
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