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高校数学での統計学必修化は間違っている

まったく異なる原理を持つ「数学」と「統計学」、だから別の科目にするのが最善

小島寛之 帝京大学経済学部教授

 2022年度から施行される新指導要領の案が公開され、高校の数学教育に携わる人々に激震が走っている。最も衝撃的なのは、統計学が数学B(高校2年、理文共通)において事実上必修化され、その割を食ってベクトルが数学C(高校3年、理系のみ)にはね飛ばされる、という変更点だ。数学Bで必修化される統計学とは、「仮説検定」や「区間推定」などの「統計的推定」と呼ばれる方法論である。これは小学校や中学校の統計の授業では学ばない、統計学の核心といって良い部分だ。これまで普通は大学に入ってから学ぶものだった。

 これについて、批判点は二つある。第一は、ベクトルが理系のみの学習で良いのか、という点。第二は、統計学を数学で必修化するのは正しいか、という点。筆者の意見では、第二の点は大問題であり、その意味で第一の点にも批判的とならざるを得ない。

数学は「演繹的」、統計学は「帰納的」

 ベクトルというのは、2次元や3次元の数を扱う代数の方法論だ。確かに、経済学でもベクトルは必須の道具であるから、文系も学習したほうがいいという意見には同意できる。しかし、ベクトルの計算自体は、そんなに難しいものではなく、大学生になってから教わっても障壁が大きいわけではない。むしろ、文系の高校生が数学という抽象的分野の中で教わるより、大学の経済学において、経済現象という具体的なモデルをもって教わるほうがイメージよく理解できるように思える。

 だから、文系にとってもっと有益な分野があるなら、ベクトルを排除しても仕方ないが、統計学にはその価値はない。なぜなら、統計学は決して数学ではないからだ。

 数学は「演繹(えんえき)的」な理論である。これは、仮定から結論を、数理論理(「かつ」「または」「ならば」「でない」「すべて」「存在する」から展開される論理)だけで導く学問である。だから、数学で証明された法則(定理)は常に正しい(真である)。たとえ話で言えば、「すべてのカラスは黒い」を前提として、「だから、このカラスは黒い」を導くのが「演繹」である。

小学校の統計の授業の様子

 かたや、統計学は「帰納的」な理論である。これは、観測された現象から「たぶんこうだろう」という推論を導く技術だ。言い換えると、経験的な推論を行う理論である。カラスのたとえで言えば、「これまで見たカラスは黒かった」を前提として、「だからきっと、カラスというのはみんな黒いのだろう」という推論を行うのが「帰納」である。したがって、統計学の結論では間違い(偽であること)が必然的に起きる。

 このように数学と統計学は全く異なる性質の論理なのである。

統計学に固有の思想的背景

 もっと踏み込んだ説明をしよう。

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