福島第一原発「廃炉作業」という異常状態に関心を持ち続けよう
2018年03月12日
あの日、東京電力福島第一原発の事態を受けて政府が発令した「原子力緊急事態宣言」は、現在も解除されていない。東日本大震災と原発事故の発生時、この国がどうなるのかの不安が広まった。多くの人々が避難を余儀なくされ、これからのエネルギーや防災政策、社会のあり方を、国民的な議論で抜本的に見直さざるを得ない事態だった。震災から7年たったいま、各地で原発は再稼働し始め、防潮堤や土地のかさ上げなど巨額の費用をかけた公共事業が進められている。あのときの後悔や反省は生かされているのか。
2011年3月11日午後7時3分に政府が出した原子力緊急事態宣言は、1999年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を受けて、設けられた。宣言が出されると、首相に権限が集中し、対策が必要な地域の指定や避難の指示などの対応を直接できる。
当時、枝野官房長官は、「原子炉そのものに今問題があるわけではございません。万が一の場合の影響が激しいものですから、万全を期すということで、緊急事態宣言を発令して、最大限の万全の対応をとろうということでございます。放射能が現に漏れているとか、現に漏れるような状況になっているということではございません」と、落ち着いた対応を呼びかけた。
その「万が一」が起きてしまった。
原発から遠く離れた都会で生活する我々が思い起こさないときも作業は進められ、ここに至ったのだと、手のつけようのないと思えた7年前の光景を思い返した。原発構内にある大型休憩所の建物には、作業する人々の食堂やコンビニも整っている。建物の中では、事故処理中の原発にいることを忘れそうになる。日常の光景として整然と進められる作業、廃棄物関連の施設を建設するために造成されつつある敷地内の林野を眺めていると、普通の製造工場や工業団地の造成を見ているようだった。
終了時の意見交換で、東電の職員は「我々の一番の脅威は無関心、関心が薄れること」と話し、受け入れ体制を強化して記者の取材や地域の人々の視察枠を広げると言った。ここまで進んだ状況も多くの人に見せたいのだろう。
しかし帰京後、福島第一原発を何回も訪れている同僚に、想像したより整然としていた様子の感想を話すと、「見た目に惑わされてはいけません」と、きっぱり言われた。
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