心の問題、日本の文化、そしてテクノロジーの発展が軽視されている
2018年04月13日
森友問題をきっかけに、公文書改ざん騒ぎが続いている。小出しにされてきた情報をつなぎ合わせると、少なくとも財務省内で上から(当時の佐川宣寿理財局長から)実際に指示があった。また、それが政府から間接的に圧力を受けたためのものか、あるいは「いやいやながら忖度した」ものかの違いはあっても、事実関係はほぼこの範囲に収まるだろう。与党幹部が「首相や首相夫人が関与していないことが明らかになった」などと幕引きを主張するのは、どう見ても噴飯ものだ。
一連の騒動を見ていて、いくつか「あれ?」という違和感を覚えた。まず「忖度」という言葉が曖昧に使われて、責任の所在が混乱している。また文書の「紛失」は、技術面から見ても無理な言い訳だ。この2点に絞って論じたい。
まず第一の点だが、端的に言って「忖度」とは自発的なものだろうか。「はっきり指示される」〜「暗黙に強制される」〜「空気を読む」……これらにどれだけ違いがあるというのか。日本は伝統的にグレーゾーンが広い文化なので、欧米から輸入した(白か黒かの決着をつける)倫理コードを適用するのは難しいのではないか。
この第一段階については、心理学的研究がたくさんある。「社会脳」への関心の高まりに伴って、いまでは最も人気あるトピックのひとつになったと言っていい。たとえば「心の理論」の考え方によれば、人は相手の見聞きしていること(知覚)、知っていること(記憶、知識)、感じていること(情動)、期待していること(予期)について、推論したり信念を持ったりする。この信念を比喩的な意味で「理論」と呼ぶ。また心理学者S.バロン-コーエンによれば、こうした心の理論の欠如こそが、発達障害(いわゆる自閉症)のもっとも決定的な特徴でもある。裏返せば、これこそが「社会的知能」の中核だと言える。
心の理論の神経機構としては、頭頂葉(上側頭溝)と前頭葉(前頭前野、前部帯状回)をつなぐネットワークが考えられる。相手の身になって想像する「メンタライゼーション」や「共感」も、やはりこの社会脳のネットワークに支えられている。要するに個人差はあるものの、相手の意図や期待を読み取る能力が人の脳にはもともと備わっているわけだ。
さて問題はそこから先の第二段階だ。この「相手の意を汲んで実際に行動する」段階は、
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