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アベノミクスがすがる「指標神話」

数値化されたデータは、時に妄信者と誤用と世論誘導を生む

山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員

 自然科学であるか社会科学であるかを問わず、「現象・現状の把握」が肝要となる分野では、複雑な現象・現状を客観的に表現すべく、データの指標化をすることが常套手段となっている。例えば地球の温度は、実際には2次元的分布が刻々と変化し、しかも観測点がいびつになっていて、その状態を正確に記述するのは困難だ。しかし、これを強引に平均することによって得られる「地球平均気温」「北半球平均気温」「日本平均気温」などの指標は、一般の人にも分かりやすく、地球温暖化やヒートアイランド効果も直感的に議論できるようになる

 指標化の他にも、複雑な現象をできるだけ簡潔に表現するための用語化も重要だ。私が直接関係している宇宙天気だと、太陽活動が人工衛星や変電所、無線通信などの障害を起こしうるような現象に、「太陽フレア」(X線などの各種電磁波を大量に放出する太陽表面現象)、「SEP」(光速に近い電子放射線やイオン放射線が惑星間空間の磁場に沿って地球や惑星を襲う突発的現象)、「CME」(太陽コロナが大量に太陽から切り離されて、静穏時の数倍〜数十倍のプラズマが常時の2〜7倍の速度で地球や惑星を襲う現象)などがある。これらは用語化により、主要現象の分類だけでなく、どの物理量を見れば(指標化すれば)よいか直感的に分かるようになり、ひいては因果関係の強弱をも統計的に調べること可能となる。

就職活動を始める大学生たち。雇用は本当に改善されたのか=2018年3月
 経済学でも、この指標化は威力を発揮している。たとえば新聞やテレビで頻繁に出てくる「GDP」「平均株価」「完全失業率」「総雇用者数」などの指標は、多くの人が現在の景気について把握し、議論をするときに便利だ。そして「インフレ」「売り手市場」「バブル」などの用語は、過去の好景気だった時期の記憶と重なることで現在も同じように景気がよいと「感じさせる」効果があり、指標が変化する「要因の一つ」として説明しやすくなる。

指標が引き起こす「錯覚」

 ところがである。便利だからこそ錯覚や落とし穴にはまりやすい。例えば地球温暖化の問題では地球平均気温が重要な指標となっていることから、日本平均気温が年々上昇している現象(これは8割以上がヒートアイランド効果)についても地球温暖化の現れであるようにとらえる誤解が跡を絶たない。宇宙天気だって、1〜2日先の予報では太陽フレアのX線強度を用いた指標が最重要視されているために、電波フレア(X線は少ないのに、GHz帯の電磁波が極端に増え、通信障害すら起こすフレア)の観測体制が過去より後退して、2年半前の電波フレアではスウェーデン南部の空港が半日閉鎖する被害を受けた。これらの過ちは、指標が因果関係を含め現象の「ほぼ全て」を言い尽くしているという「錯覚」が引き起こした弊害だ。

 指標化された数値はあくまで参考値である。個々の現象をより正確に把握するためには、より多くの指標をその背景込みで吟味することが欠かせないし、それ以上に生データを吟味する必要がある。さらに、たとい因果関係の仮説から作られた指標であってすら、指標そのものは主因を特定するものではない。

 しかしながら、現実には同じ指標ばかりが優先的に使われ、いつしかその指標で「全てを言い尽くせる」かのような神話化が起きる。最悪の場合「その指標さえ議論すれば因果関係すらわかる」という神話にまでなる。「日本の平均気温の上昇=温室効果」という短絡も、吟味の不足(地球平均と日本平均の区別をしないことと、因果関係を調べていないこと)による指標神話の一つだ。

 では同じことは、より一般に使われている経済指標でも起こっているのではあるまいか?

雇用環境は本当に良くなったのか

 私がこのような疑念を抱くのは、多くの人が「雇用を示す指標が良い」と考え、さらにその主因をアベノミクスの「成果」として評価しているように思えるからだ。

若年雇用者が減少した後、シニア雇用者が増えている

 この種の議論で引き合いに出される「完全失業率」や「有効求人倍率」の指標は、確かにこの5年で良くなっている。しかし、実際の勤労者の就業環境が良くなっているかは疑問だし、その主因となると、安倍内閣の経済政策のおかげなのか、他の要因の方が大きいかの因果関係すら分からない。というのも65歳以下の労働力人口が減少するなか、正規雇用から非正規雇用への転換と高齢者の再雇用が進んだことで、「完全失業率の低下」や「総雇用者数の増加」が起きていると予想されるからだ。これは決して「雇用の改善」を意味しない。むしろ、悪化すら意味しかねない。

 2003年から04年にかけて男性の退職世代の数が新卒世代を超え、労働力人口は07年から減少へ転じた。この際に、上図に示すとおり、まず15〜24歳の若い雇用者が大幅に減少し、その後で、60〜69歳のシニア層の雇用者が大きく増えている。つまり、雇用者の減少に供給が追いつかないからシニア層も働かざるを得なくなったのであって、シニア層が雇用にしがみついているから若い世代の雇用が減らされているわけではないことが、データから読みとれる。

総務省「労働力調査」のデータをもとに編集部で整理
 この時に何が起きていたのかを吟味してみよう。雇用者数を男女別に正規・非正規に分けたのが左図だ。これを見ると、正規雇用者が非正規雇用に振り替えられて行くのがわかる。安倍政権下の2014年以降の雇用の伸びも、その内訳を年代別に調べれば、増えているのは65歳以上の男女と、35-54歳の「子育て世代」の女性が中心だと分かる。前者は民主党時代の「60歳以上の雇用確保とそれに伴うワークシェアリング」の成果であり、後者も少子化や「子供が出来ても働かざるを得ない」という労働環境が関係していそうだ。つまり、とても「経済が好調のおかげで雇用が良い」とは言えないのである。
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