米山正寛(よねやま・まさひろ) 朝日新聞記者(科学医療部)
朝日新聞科学医療部記者。「科学朝日」や「サイアス」の編集部員、公益財団法人森林文化協会事務局長補佐兼「グリーン・パワー」編集長などを務め、2018年4月から再び朝日新聞の科学記者に。ナチュラリストを夢見ながら、とくに自然史科学と農林水産技術に関心を寄せて取材活動を続けている。
人工林拡大の中で進んだ開放地と大径木の消失が、大型猛禽類の減少を招いた
国内にすむ大型猛禽類の代表と言えるイヌワシとクマタカ。この2種は環境省のレッドリストで、ともに絶滅危惧種(IB類)に指定されている。個体数減少の原因としては、生息地である山岳地帯の自然破壊や化学物質による環境汚染などが疑われてきたものの、実際には戦後の拡大造林政策による森林環境の激変が、両種を危機的な状況に追い詰めた主犯だったとの認識が広がりつつある。筆者がこの春まで編集長を務めた雑誌『グリーン・パワー』で昨年1年間、両種のこうした実情について連載してもらったアジア猛禽類ネットワーク会長の山﨑亨さんに、改めて話を聞いた。
◇ ◇
――日本のイヌワシの生息環境は、世界的に見て特殊だと聞く。
日本の山は基本的に森林に覆われている。そんな環境で生きているイヌワシは、日本の亜種ニホンイヌワシだけだ。海外のイヌワシは主に草原で暮らしており、木のまばらな灌木地帯で見られることもある。イヌワシは体や翼が大きく、日本の亜種も木々の立ち並ぶ森林の中には入っていかない。ノウサギやヤマドリ、ヘビ類など餌となる動物の狩り場となっているのは、森林地帯の周辺にある草原や伐採地といった開けた場所(開放地)だ。こうした生息環境に合わせて、日本ではイヌワシの行動も変わってきた。
――行動がどう変わったのか?
つがいでの狩りの頻度が高い。1羽が木のない所へ獲物を追い出し、もう1羽が狩るという戦法を採ることが多い。だから1年中つがいで行動し、どちらかが死ぬまで2羽のつがい関係が続く。これは世界的に見ると、すごく珍しい。巣は主に断崖の岩棚に造られ、雌は2卵を産む。ところが2卵目のひなの孵化は1卵目より3日ほど遅れ、孵化直後から1卵目のひなによる攻撃を受ける。この『兄弟殺し』『兄弟間闘争』と呼ばれる行動が日本では極めて激しく、ひなが2羽ともに巣立つ確率は1%にも満たない。獲物の量が限られる森林地帯で、確実に1羽が育つように適応した結果だと考えられている。
――森林にすんでいるイヌワシだが、周辺にある開放地が貴重な狩り場となってきたわけだ。
かつて森林は焼き畑として利用されたり、薪や炭を得るために伐採されたりして、山間部にも開けた場所が点々とあった。茅場や採草地などと呼ばれる草原も各地に広がっていた。そうした人工的な開放地がなかったら、イヌワシは獲物を捕れず、日本で個体群を維持できなかったのではないか。少なくとも人間が森を利用するようになってから、日本のイヌワシは人の暮らしと共存してきたと言える。
――イヌワシの繁殖成功率は1980年代から低下するようになったと言われる。その頃から森に変化が起こったのか?
私が調査のフィールドとしていた鈴鹿山脈で、初めてイヌワシを見つけたのは1976年だった。当時は伐採地がいっぱいあり、植林から数年の場所もたくさんあった。イヌワシが狩りをしやすい環境が広がっていた。しかし、戦後の拡大造林で植えられたスギやヒノキがどんどん成長し、かたや燃料革命で石油やガスが普及したため、薪炭林が定期的に伐られることはなくなった。草原も放置されるようになった。このため4~5年も経つと灌木が伸びたり草が大きくなったりして、イヌワシは狩りをしにくくなっていった。日本イヌワシ研究会は、1981年から毎年、繁殖状況を調べているが、当初
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