核抑止力につきものの情報の不確かさは「廃棄」後もつきまとう
2018年06月08日
北朝鮮が地下核実験場を「廃棄」した。5月24日、北部の豊渓里に海外メディアを呼びよせての坑道爆破。米朝関係の先行きは不透明だが、とりあえず「非核化」が一歩進んだようにも見える。だが、それは楽観的に過ぎるだろう。実験場の爆破が、核開発にまつわる証拠物件を木っ端微塵にしてしまったかもしれないからだ。
その懸念に焦点をあてた報道もあった。朝日新聞は翌25日付朝刊で「爆破 核隠す意図か」「実態検証不能の恐れ」という見出しの記事を載せた(東京本社最終版)。北朝鮮の核開発では「核爆発に使った核物質がプルトニウムなのかウランなのか、その量はどれくらいなのか、などの詳細は明らかになっていない」と指摘、爆破によって「こうした未解明の部分や北朝鮮の主張が検証できないおそれがある」という専門家の見方を伝えている。
核兵器の廃棄では、過去にさかのぼって核開発の詳細が明らかにされ、その記録が開示されなくてはならない。そこがあやふやだと核物質や製造設備の一部が残存する可能性が消えず、核保有や核拡散の疑いを絶てないからだ。これは、廃棄を「完全」で「不可逆」なものにするための必要条件と言ってよい。ただ、それは言うほどにたやすくはない。そのことを教えてくれる前例がある。
ここで押さえておきたいのは、南アの核保有が北朝鮮のそれと異なり、世界に向けて誇示されたものではないことだ。秘密裏につくられ、秘密裏に放棄された。それには、南アならではの事情がある。
南アが核兵器の開発を決めたのは1974年。「ソ連(当時)の拡張主義の脅威があった」ころで、翌75年には「キューバ軍がアンゴラ内戦に参戦したことで抑止力の必要が高まった」(93年、南ア政府発表)。冷戦の緊張が近隣に迫ったため、自前の核抑止力を手にしたというのである。ただ当時、核兵器の保有を公然と宣言すれば国際社会の反発を招くのは目に見えていた。南アは、それでなくとも人種隔離(アパルトヘイト)政策が嫌われて孤立気味だったから、さらなる疎外要因を抱えたくなかったのだろう。
核抑止力は核兵器そのものだけでなく、それにまつわる「うわさ」によっても
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