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大学という頑迷で保守的な社会での体験を語る

「正義」という保身の論理が、学術発展を阻む

高部英明 ドイツ・ヘルムホルツ研究機構上席研究員、大阪大学名誉教授

 米国の友人と22年前に設立した「実験室宇宙物理学」(Laboratory Astrophysics)の第12回国際会議が、日本で初めて、5月25日から6月1日にかけて倉敷で開催された。議長より「実験室宇宙物理学の産みの親としてバンケットで記念講演をして欲しい」と依頼を受けた。そこで、この新学術分野の発想に至る経緯や新学術立ち上げの歴史的背景を含めて講演した。題目は「Laboratory Astrophysics: Past, Present, and Future」。しかし一般論では面白くないので、「Past」の前に「My」を付け講演した。以下に「私の過去」の講演部分をわかりやすく紹介しよう。

1983年〜 評価されることの難しさで始まる

 まず、実験室宇宙物理学の萌芽となる乱流物理研究への経緯を概説しておこう。私は学位取得後、助教として米国のアリゾナ大学に滞在した。そこで、博士時代の研究をより高度に深める計算手法に出合い、後に「高部の公式」と呼ばれる研究につながる論文を1983年と85年に発表。日本に戻って私はその成果を報告するが評価されなかった。自分では成果を自負しても、周りは馬耳東風。評価されることの難しさを初めて経験した。ところが、1990年頃、米国がTakabe formulaと騒ぎ出した。米国が評価したことで、日本で認められると同時に、反発も受けた。

 レーザー核融合の研究を続けながら、「この分野はまだ理学の分野」との思いを強める。レーザー核融合という概念は1972年に米国で提案された。その提案には未解明の物理(仮説)が含まれていた。本来なら時間をかけて物理を解明する理学的研究を行い、仮説が正しかったことを明らかにして実用化を目指した工学的研究を始める。しかし、1974年の石油危機(エネルギー危機)と時が前後。理学研究ではなく工学色の強い新エネルギー開発研究として政府から大きな予算が大学などに配分された。

 そうした流れの中で、米国に5千億円(国防予算)で建設された巨大レーザーNIFで2009年度から7年間、核融合の原理実証実験が行われた。しかし、予想していたほどの核融合反応は検証できなかったと、2016年にプロジェクト失敗を宣言した。72年の論文で核融合エネルギー発生に必要と結論された200倍のレーザー・エネルギーをつぎ込んだが仮説通りの核融合は起こらず、未解明の物理がある、と。

水の表面に赤ワインをゆっくり注いだ実験写真=米物理学会、James Riordon氏撮影
 未解明の物理の代表が流体不安定と乱流である。その物理は右図の身近な実験――表面に静かに広げた重い赤ワインが水に沈むとき、沢山のスパイク状に沈んでいく様で説明できる。これが自然だ。レーザー核融合は1mm程度の燃料球を「まん丸のママ」で手品のようにして、20分の1程度の半径に圧縮することで実現する。(レーザーの圧力でパチンコ玉を仁丹くらいの大きさにする)。核融合は「圧縮できれば」という仮定で成り立つが、自然はそれを妨げる。図のように不均一な乱流になるほうが自然である。私は核融合より圧縮時の乱流物理の研究が先だと考えるようになり、80年代中頃、乱流物理の研究を深めていった。

1987年〜 工学から宇宙物理学の世界へ

 ちょうどその頃、1987年2月、有名な超新星1987Aの爆発が観測された。太陽質量の20倍もある星の中心が陥没。その時生まれた衝撃波が星の表面を加熱し、突然光り出した。同時に生まれた無数のニュートリノは神岡の水タンクにも到達。13個のニュートリノがタンク内の陽子に吸収され光を出した。その発見が小柴氏の2002年のノーベル物理学賞となる。同時に大きな発見があった。超新星も「まん丸のまま」での爆発はせず、乱流状だった。まさに当時の私の研究分野であり、物理は同じで、違いは大きさだけ。超新星理論の専門家の誘いがあり宇宙物理研究を開始する。私、34才。

大マゼラン星雲で1987年に発生した超新星爆発。右が爆発前=アングロオーストラリア天文台、Daved Malin氏撮影
 宇宙物理の研究者、特に理論やシミュレーションの研究者と議論するうちに、彼らの悩みを聴く機会が増えた。曰く、「スパコンで計算しても、基礎式や数理モデルが正しいか確認していないので、結果が正しいか自信がない」。物理学では理論は仮説であり、実験的に正しいことが確認されないと受け入れられない。その好例が2013年にノーベル賞に輝いたヒッグス博士。彼は50年前に、電子やクォークなどの素粒子に質量を与える「ヒッグス粒子」の存在を理論的に予言したが、実験で粒子が確認されるまで50年間、ノーベル賞を待たねばならなかった。

1992年〜 新研究領域を提唱したが…

 そこで、私は大型レーザー実験による宇宙物理の理論検証を発想し、「実験室宇宙物理学」という新研究領域を提唱した。1992年頃、私、39才。しかし、大学の仲間は興味を示さない。理解しようとしない。というか、「エネルギー開発」という枠から出ようとしない。いち早く重要性と将来性に気付いてくれたのは米国の友人Bruce Remington。彼は米国ローレンス・リバモア国立研究所でレーザー核融合実験に携わっていた。1994年、大阪に来た彼から「最近、何の研究している?」と聞かれ、「流体不安定。5時以降は宇宙物理」と答えた。すると彼は「宇宙物理」に異常な興味を示した。彼の専門は流体不安定の実験だ。そこで詳しく私の提唱を教えると、彼は重要性に直ぐ気づき、帰国して間もなく、超新星爆発の模擬実験を始めた。その行動力には心底驚かされた。私は彼に救われ二人三脚で新分野を盛り上げてきた。

中国科学院の張傑氏(右)、米国リバモア研究所のBruce Remington氏(中)、筆者
 こうした経緯で1996年にこの国際会議を始めた。米国エネルギー省の財政支援があり、長く米国で2年ごとに開催してきた。そして、コミュニティが成長してきたので2014年から米国、欧州、アジアで2年ごとに開催することにした。

 時期は遡るが、2002年には中国のレーザー核融合分野の若き指導者、張傑(現在、中国科学院・副総裁)と北京での運命の出会いがあった。私が目指す学術を説明し、彼に中国での実験開始を相談した。彼はすぐ本質を見抜き、中国での実験研究が始まり、広がっていった。それでも日本でなかなか仲間が増えない。大型レーザー実験の研究者人口が少ないせいもある。

2004年〜 改革できない教授たちと

 日本の国立大学は2004年の「国立大学法人化」を受け、先行きの不安を抱えた。私、51才。特に大学付置の研究所の予算の先が見えない。当然、研究所は自己改革を行い、先端学術を担う体制を自ら提案することが迫られる。しかし、「レーザー核融合のエネルギー開発は天命であり不退転の目標である」かのように主張する教授がいる。だから改革に対する議論を重ねても議論が進展しない。こちらは「より挑戦的な学術への展開」という論理を主張するが、相手は「人類のためのエネルギー問題解決」という情緒を振りかざす。私からすれば、「正義」の名の元で同じ研究を長々と続ける教授は大学の発展を阻害しているとしか思えない。新学術を展開せよとは言わぬ、邪魔をするなと言いたい。が、正義を振りかざし、改革の邪魔をする。

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