潜在マーケティングの限界を超えて
2018年07月24日
前稿では「ブルー・オーシャン・シフト」に触発され(題名同、ダイヤモンド社)、その要諦を「既存市場(レッドオーシャン)で競うのではなく、競争の無い新市場(ブルーオーシャン)を開拓する」とまとめた。そしていくつかの具体例を検討した。「人々の隠された欲望を探し出し、それに訴える商品を作る」。それがマーケティングの大原則で、ブルー・オーシャン・シフトも基本的にはこの線に沿っている。だがそれに敢えて疑問を呈したい、というところまで書いた。
特にここで提起したいのは「欲望はあらかじめ存在したのか?」という問いだ。同書もこの点は掘り下げていない。
この問いの答えがどうであれ、過去の消費行動の理解という点では同じかも知れない。だが消費者心理を理論的に理解する上で大きな違いが出る。またこの点の理解を深めることから、これまで(失礼ながら)後付けの理解に過ぎなかったマーケティング研究を転換できるかも知れない。
より精緻に考えるために、私たちはここで、こころの(そして欲望の)三つの層を区別する必要がある(なお「欲望」という語は専門用語ではない。専門用語を強いてあてれば「欲求」「動因」だが、ここではわかりやすく「欲望」を使う)。今、三つの層と言ったが、より正確には「ふたつの層と、ひとつの異なる時相」だ。まずふたつの層というのはもちろん、
(1)「意識レベルの顕在的な(=自覚し記述できる)欲望」の層
(2)「無意識レベルの潜在的な(=無自覚の)欲望」の層
のことだ。ただそれとは別に、こころの潜在レベルにすらあらかじめ存在してはいなかった欲望も、あり得るのではないか。つまり適切なトリガー(解放)刺激やプライミング(促進)刺激を受けて、あらたに形成された(創発された)欲望のことだ。これを
(3)「トリガーされた欲望」の層
と呼ぼう。もちろんひとたびトリガーされれば(顕在的・潜在的なこころに)「存在し」はじめる。ただトリガーさえかければどんな欲望でも花開く、というものでもない。だから当然、適切な知識や快の経験・記憶が、こころの中に構造的に準備されていることが必要だろう。
ところがよく考えると、上記(2)の「潜在レベルの欲望」と、(3)の「あらたにトリガーされた欲望」の区別は、実は難しい。「現にヒットしたのだから、あらかじめ潜在的な欲望はあったのだろう」。これがマーケティングの普通の考え方だ。だが典型的な「後付け再構成(ポストディクション)」のメンタリティーと断罪せざるを得ない。
理由はふたつある。
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