想定された災害で大勢の犠牲者が出た西日本豪雨は被災者が悪いのか?
2018年07月31日
西日本豪雨の発生から間もなく1カ月となる。広域で長く続いた大雨で、特別警報が計11府県に出され、被害は広い範囲に及んだ。200人を超える方々が亡くなった。死者が100人を超える風水害は35年前の1983年7月の豪雨で117人が犠牲になって以来のことだ。
なぜ、大勢の方が犠牲になったのか。
様々な問題が指摘されているなかで、大きな課題として洪水や土砂災害が起きる危険性の事前の周知、直前の警戒の呼びかけが避難につながらなかったことがあげられる。この点について、考えてみたい。
では、被災した人々が悪いのだろうか。
あらかじめ個々人が知識を持って、防災情報に注意を向けて、必要な行動をとっていれば、避けられたかもしれない。でも、誰もが防災の専門家ではない。配られていたハザードマップを「知らなかった」「見たこともなかった」という住民もいた。行政が知らせていたとしても、少なからぬ人々に伝わっていなかった。
危険だとはわかっていても自分は大丈夫だと思い込んでしまう社会心理学でいう「正常化の偏見」だけでは片付けられない。避難せずに被災した人には「避難しなかった」ではなく、「避難できなかった」人もいる。危険だと認識していなかった人、自力での移動が困難だった人、避難を促す情報が伝わらなかった人もいるだろう。
伝えるべき情報を発信していたとしても、あとは「自己責任」と済ますわけにはいかない。その情報が人的な被害を防ぐことにつながらなかったということは、事前にリスクを周知する段階から住民が避難を終えるまでの段階のどこかに構造的な欠陥があったはずだ。それは、危険を予測して知らせることや警報や避難の呼びかけよりも、伝えた情報を受け取って行動に結びつけてもらう段階が難題となっているように思える。
静岡大学の牛山素行教授は、防災対策のハードとソフトの違いについての説明のなかで、ダムなどのハード対策は完成と同時に機能が発揮されるが、ソフトは「利用者の理解・利用」というプロセスが1段階多く存在しているとして、「防災情報を使うための仕組み作り」が、まだ十分ではないと指摘している。その1段階の部分なのだ。
では、災害に関する情報を住民に役立ててもらうには、どうすればいいのか。
ハザードマップを配っても読んでもらえないなら、津波防災のように想定浸水域を電柱に表示して否応なく目に入るようにする試みもある。国土交通省が2006年に手引きを作った「まちごとまるごとハザードマップ」という事業では、住民に水害の危機意識を持ってもらい逃げる場所を知ってもらうことを目的に、電柱などに想定浸水深さや避難所を表示する。対象の約1300市町村のうち、2016年3月末までに約1割の実施であまり広まってはいない。
土地柄として、斜面や川沿いなどは災害に遭いやすいが、素人がすぐに判別できるわけではない。新しく住む場所を決めるとき、普通は日常の利便性や住環境を重視して、起きるかわからない災害の危険性の確認は二の次になるだろう。それでも、津波被害や土砂災害が想定される土地かどうかは、不動産取引の契約前の「重要事項説明」が義務付けられている。ただ、豪雨による浸水リスクは、重要事項の項目に入っておらず、国土交通省は今のところ加える検討はしていないという。
風水害でも地震でも、災害や防災に関心の薄い人の注意を引きつけるように、その人にとっての危険性を示すことが必要だ。ただ、そんな「脅しの防災」を強化しても、それを個人の防災対策につなげていかなければ意味がない。
防災対策は、基本的には、将来、起きるかもしれないマイナスをゼロにするもの。水害の恐れが少なく地震で揺れにくい高台に引っ越したり、避難訓練を繰り返したりしても、自分が生きている間に災害に直面しないかもしれない。防災物資を備蓄しても、耐震補強をしても、暮らしやすくなるわけでもない。お金がかかる対策をして、無事に過ごせた時、よかったと思うのか、損したと思うのか。
豪雨災害の後、大阪で、行政の防災関係者と話をしていて、防災の必要性をあまり感じていない人にどう対策を促すかの議論になった。すると、「ことわざにあるように『損して得取れ』というわけにはなかなかいかない。『いや、あしたの銭なんですわ』と言われる。自然に進めるには
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