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[1]科学・教育と社会保障、予算の一体的議論を

「55兆」と「1兆」と……この桁違いをどうとらえるか

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

 すでに多くの議論がなされているように、日本の科学研究、とりわけ大学における研究はある種の危機的な状況を迎えている。近年何かと言及されることの多い“大学のグローバル・ランキング”のような、アングロ・サクソン的な偏りの強い大学評価を私は好まないが、しかし大学の予算が年々着実に減らされ、また若手研究者の雇用が任期付きないし非正規中心のものになり、研究環境がきわめて不安定かつ短期志向になる中で、日本の大学における研究の基礎体力あるいはポテンシャルが確実に下がっていることは、大学に身を置く者としても日々実感する事実である。何よりそれは、日本の未来あるいは将来世代にとっての大きな負荷となっていくだろう。

科学研究あるいは大学の窮状

 このことと直結する事柄ではなく、またここでの主たる話題でもないが、文部科学省の局長が私大への予算配分と引き換えに息子の裏口入学を得るという、先日の信じられないような汚職事件も、もちろんきわめて特殊かつ異例な事件であろうが、その背景的要因として、日本における大学の財政的窮状、そして予算削減の中での文部科学省の裁量的関与の増大――“金を出すが口も出す”ではなく“金を減らしつつ口を出す”という矛盾的構造――が働いているのではないか。

拡大大学で卒業証書を受け取り、社会へと飛び出す若者たち=2018年3月、福岡県田川市
 そして、以上のような現在の日本での科学研究あるいは大学の危機ということについて、それを打開するための様々な議論や提案がなされているわけだが、私から見ると、その多くはいつも共通の“壁”ないし限界にぶつかり、結果として議論が半ば堂々めぐりをしているように映る。

 それは、そうした議論が基本的に「科学研究」ないし「(大学)教育」という領域の“枠”の中で行われているということであり、言い換えれば、「文部科学省の予算」という土俵より外に議論の射程や関心が及ばず、その結果、科学研究や大学予算の拡充・強化の必要という主張までは打ち出されたとしても、結局は「その財源(お金)をどこから調達するのか」というところで議論がストップしてしまうということだ。

 私は、科学研究や大学予算に関する日本の議論において、乗り越えなければならない壁は他でもなくこの点にあると考えている。つまり、議論の射程をもっと広げ、科学や研究、大学や教育という分野を超えた、それ以外の領域までを視野に収めて、それら全体の予算配分のあり方を問いなおしていくということである。

55兆・5兆・1兆

 「55兆・5兆・1兆」。3つの数字を並べたが、これらの数字はそれぞれ何を指していると思われるだろうか。

 答えを記すと、3つはいずれも金額であり、「55兆(円)」とは現在の日本における「年金」の給付額であり、「5兆(円)」とは文部科学省の予算額であり、「1兆(円)」とはそのうち国立大学の年間予算額である(なお年金は2015年度〔確定値として直近〕の数字、文部科学省予算及び国立大学予算は2018年度の数字。国立大学の予算額〔国立大学運営費交付金〕は正確には1.1兆円)。

 多少補足すると、年金は社会保障の中の(医療や福祉と並ぶ)一部門だが、社会保障全体の年間給付額はさらに大きく、115兆円に及ぶ(2015年度)。そして、言うまでもなく年金を含む社会保障の給付額は、高齢化の急速な進展の中で毎年なお着実に増加しているのである。

 私は、初めてこれら3つの数字を並べて比較した時、その大きさないし規模の違いに少々愕然としたのを覚えている。文字通り“桁違い”の相違であり、高齢者の年金には50兆円を優に超える額のお金が流れているのに対し、国の教育・科学予算は5兆円、そして国立大学予算は1兆円というのは、どこかに根本的な問題がひそんでいるのではないか、あるいは見直しの余地があるのではないかということだ(なお私立大学への補助は約3000億円)。

公的資金の配分のあり方

 もちろん、この比較には直ちにいくつかの注釈や留意が必要だろう。まず年金については、主たる財源は社会保険料であって(ただし基礎年金の2分の1は税財源)、国の予算あるいは税を主体に賄われているわけではなく、その意味で科学・教育予算との単純な比較はできないだろう。しかし税も社会保険料も強制(義務的)徴収という点では同様であり、かつその給付が公的な枠組みの中でなされている点は共通しており、公的制度の中での資金配分のあり方という観点からこれらの全体を論ずることには一定の意味があるだろう。

拡大年金の支給額は増大が続いている
 一方、そもそも日本は上記のように高齢化が急速に進み、かつ少子化が進行しているわけだから、年金など高齢者向けの給付が大きくなるのは“当然”だという見方ももちろん可能である。

 しかしそうした一般的趨勢を考慮した上でなお、私はこうした公的資金の「世代間配分」のあり方に目を向け、それが妥当なものかを吟味し、その見直しの可能性を正面から議論していくことが今こそ必要ではないかと考える。それが他でもなく、先ほど指摘した「科学研究や大学予算のあり方について、それらの分野以外の領域までを視野に収め、全体の配分のあり方を問いなおしていく」ということであり、本論考のサブタイトルである「科学・教育予算と社会保障予算の一体的議論を」という主張ともつながっている。

 そして、ここで一つの大きな提案をするならば、「今後、55兆円を超えてさらに増加していく年金給付のうち、主に高所得層に給付される(例えば)数千億ないし1兆円程度を、何らかの形で科学研究ないし大学教育(ひいては若い世代の教育・雇用支援)に再配分する」という方向の改革を、私たちは検討し、実現していくべきではないか。

 これが私の提案の趣旨だが、内容についていくつかの説明を加えておきたい。 ・・・ログインして読む
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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

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