メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

国内最古の昆虫標本を救ったフランス大使館員

自然を愛した人たちによる100年前の日仏交流

米山正寛 朝日新聞DO科学編集長

拡大東大総合研究博物館で公開中の武蔵石寿の昆虫標本
 日本国内で最古とされる昆虫標本が東京大学総合研究博物館の特別展示『珠玉の昆虫標本―江戸から平成の昆虫研究を支えた東京大学秘蔵コレクション―』(※1)で公開されている。江戸後期の旗本で本草学者でもあった武蔵石寿(1766~1861)が、天保年間(1830~44)につくったものだ。さぞ、大切に扱われてきたものと思われそうだが、実は大正初期には東京の古道具店に並んでいたというから驚きだ。

ガラス容器を使った独特の製作法

拡大7段重ねになった武蔵石寿の標本箱=矢後勝也さん(東大総合研究博物館)提供
 標本の詰まった7段の重箱の価値を店頭で見いだし、1913(大正2)年に東大へ贈ったのは当時の在日フランス大使館員だったエドム・アンリ・ガロア(1878~1956)だった。その名を知る人は少ないだろうが、栃木県の日光で見つけた新種の昆虫に、自身の名が残るほどの昆虫愛好家でもあった。ガロアがこの標本を救い出して東大へ持ち込まなければ、江戸時代の日本の虫たちの実物標本は、私たちが見られる形で現在まで残っていなかったのかもしれない。

 この標本の製作者である武蔵石寿は、越中富山藩主で本草学・博物学に造詣の深かった前田利保 (1800~59)が主宰した研究会「赭鞭会(しゃべんかい)」の同人として活動した。還暦を迎えて隠居してからは、主に貝類の研究に打ち込んだ人として知られる。そして、この国内最古の標本(※2)を残したことが、もう一つの著名な業績となっている。その作製法は独特で、綿の上に置いた虫体にドーム状のガラス容器をかぶせ、底に和紙を貼ってある。ガラス容器は直径6.7センチの円形のものが90個近くあり、9×10.5センチと大型で楕円形のものも六つある。

拡大大型のガラス容器に入った武蔵石寿の昆虫標本。上段左からクロアゲハ、ギンヤンマ(模様が描いてある)、アオスジアゲハ、下段左からタガメ、セミタケ、冬虫夏草=矢後勝也さん(東大総合研究博物館)提供
 針を使う西洋式の標本作成法は18世紀前半には確立していたようだが、それが日本まで伝わって記されたのは19世紀に入ってからだ。さらに日本で実際に針を使った標本をつくった確かな例は、1866年に博物学者の田中芳男(1838~1916)が、1869年のパリ万国博覧会に出品したもの。武蔵石寿がなぜ、このようなガラス容器を使った作製法を採用して標本をつくったのかは明らかでないが、独自に考案した可能性もあり、たいへん貴重なものだといえる。

昆虫だけでなかった当時の「虫」

拡大小型のガラス容器に入った武蔵石寿の昆虫標本。一つの箱に15個の容器が入る。マイマイカブリ(上段左端)やハグロトンボ(下段左端)などが見える。中央のゲジゲジは、現在の分類学では昆虫に含まない=矢後勝也さん(東大総合研究博物館)提供
 ガラス容器内に保存されている昆虫は、ナミアゲハやクロアゲハ、アオスジアゲハ、ジャコウアゲハという蝶類4種のほか、タマムシやマイマイカブリ、ミンミンゼミ、タガメなど約72種に及ぶ。ギンヤンマの翅には緑や赤で模様が描かれており、かつてはそうした遊びがはやっていたのかもしれない。また、国内にいないミドリゲンセイは薬用に輸入されたものと思われる。クモ(蜘蛛)、コウモリ(蝙蝠)、トカゲ(蜥蜴)など、漢字で書くと虫へんが付く小動物も含まれており、当時、「虫」と認識されていた生き物の範囲が分かる点で、文化史的な意味も高い標本だと考えられる。

 ただ、ガロアが関わった標本の来歴について、今回の展示説明では特にふれられていない。そのあたりを管理に当たる同館の矢後勝也助教に補足してもらうと、「日本にとって大事なものだと考えて、たぶん買い取ったのだろう。最初は帝室博物館(今の東京国立博物館)に寄贈しようとしたが、面倒な手続きが必要だと言われて憤慨し、当時の東大教授だった佐々木忠次郎(1857~1938)の所へ持ってきた」のだという。佐々木は同僚で本草学に詳しかった白井光太郎(1863~1932)に調べてもらい、武蔵石寿の作製したものだと判明した。佐々木はこの標本について「本邦唯一の貴重なる標本である」と書き残している。

 残念ながら、この標本には一部のガラス容器の破損や、虫食いによって失われた部分が認められる。矢後さんによると、昭和初期に撮影された写真に、すでに同様の劣化が認められるそうだ。東大が受け取るまで、すでに作製から70~80年程度が経過しており、その間に傷みが進んでいた可能性は高い。そもそも高温多湿の日本で、かびや虫の害を防いで生物標本を保存するのは並大抵のことではない。だからこそ、江戸時代には美しい動植物の姿を残そうと、博物画の図譜が数多く編まれた。武蔵石寿自身も、貝類の大部な図譜の作者としても知られる。従ってこの標本を受け取った東大では厳重な管理に努め、2012年には農学部から総合研究博物館へ所蔵替えして、現在に至っている。矢後さんは「重要文化財級の標本だと言える。過去に何度か公開されてきたが、傷みも見られるため、今回が最後の公開になるかもしれない」と話している。昆虫に興味がある人にとって、今の特別展示は必見のようだ。

日仏に残るガロアの採集標本

拡大ガロアムシ=日光自然博物館の村木朝陽さん提供
 では、こうした貴重な標本を救ってくれたガロアとは、どんな人だったのだろうか。 ・・・ログインして読む
(残り:約1888文字/本文:約3850文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

米山正寛

米山正寛(よねやま・まさひろ) 朝日新聞DO科学編集長

朝日新聞科学医療部記者兼DO科学編集長。朝日新聞の科学記者を経て公益財団法人森林文化協会へ出向し、事務局長補佐兼「グリーン・パワー」編集長を務めた。2018年4月から現職。ナチュラリストを夢見ながら、とくに自然史科学と農林水産技術に関心を寄せて取材活動を続けている。

米山正寛の記事

もっと見る