騒ぎすぎたのは間違いないが、あけっぴろげの透明性があった
2018年08月24日
この夏、朝日新聞の「ひと」欄にルイーズ・ブラウンという名の英国人女性が登場した(2018年8月8日付朝刊)。高年齢層には、「ルイーズちゃん」と聞いて思いだす人が少なくないだろう。1978年7月25日、英国マンチェスター近郊のオールダムで世界初の体外受精児として生まれた女の子だ。彼女が今年、満40歳の誕生日を迎えた。その機会をとらえて、ロンドン駐在の記者が彼女の近況を取材したのである。今は世界を回って自身の思いを語っているという。
ルイーズちゃん誕生が当時、最先端医療の成果だったことは間違いない。性行為なしの生命誕生は人工授精によってすでに実現していたが、受精の瞬間まで医療の管理下に置かれるというのは従来の生命観を逸脱していた。この第1報は世界を駆けめぐり、朝日新聞も78年7月26日付夕刊の1面トップで扱っている。
ニュースのショー化を増幅したのは、現地の報道で用いられた“test-tube baby”という呼び方だ。日本でも「試験管ベビー」と訳されて多用された。体外受精に比べてわかりやすい表現ではあるが、この技術に対する俗っぽい好奇心をあおることにもなった。総じて言えば、ショーの仕掛け人はメディアだったと言ってよい。
報道の過熱ぶりは今、ルイーズ・ブラウンさんの公式サイトに入ってみても、よくわかる。動画を開くと、ルイーズちゃんが退院してブリストルの自宅に戻ったときの映像が流れ、BBCの元リポーターが取材のドタバタぶりを証言している。世界中から何百人もの新聞記者や映像撮影班が押しかけ、救急車のドアを開けようとして大混乱になったという。
この動画には、日本人が見て「えっ?」と驚く映像も出てくる。ルイーズちゃんは赤ちゃんの頃(本人のコメントでは2歳になる前)、両親とともに来日してテレビ出演していたのだ。愛川欽也さんが司会する番組。「ルイーズちゃんです、どうぞ」と、キンキンが陽気な声で紹介している。映像からしか判断できないが、番組はニュースではなく、情報バラエティー系と思われる。ショーは、世界中に拡散していた。
私が朝日新聞の科学部員になったのは83年夏。そのころ、部の先輩が5年前のルイーズちゃん報道を振り返って科学報道談議をしていたことが思いだされる。このときに苦々しく語られたのが、例の「試験管ベビー」。朝日新聞社内には早くからこの用語に対する忌避感があったようで、78年の第1報でも見出しは「初の体外授精児誕生」となっていた。ただ、本文では「体外授精児(試験管ベビー)」という表現がとられている。
83年当時、科学部員にとって最大の関心事は実名報道の是非だった。日本国内の体外受精第1例にどう対処するかが差し迫った問題になっていたからだ。
ルイーズちゃん報道では、本人のみならず父母も名前入りで報じられた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください