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「ヒト受精卵をゲノム編集」で続く危険性論争

病気の遺伝子は修復できたか……見方は分かれ、再現実験も困難

粥川準二 サイエンスライター

 昨年8月、「『ヒト受精卵にゲノム編集』で何が起きたのか」で伝えたように、米オレゴン健康科学大学のショウクラット・ミタリポフらはヒト受精卵にゲノム編集を行い、ある病気の原因となる変異遺伝子を正常な遺伝子に置き換えることに成功した、と『ネイチャー』で報告した。しかし米コロンビア大学のディエター・エグリなど複数の専門家から、遺伝子を置き換えたのではなく削除しただけではないか、と批判された。

 エグリらの批判は、論文になる前のプレプリント(原稿)として示された。ミタリポフは「数週間以内に返答する」と述べていた。ようやく今年8月、エグリらのものを含めて、ミタリポフらの主張を批判する記事2件が『ネイチャー』に掲載され、ミタリポフらによる反論も同時に掲載された。

「修復」ではなく「削除」?

 ミタリポフらは、有名なゲノム編集ツール「CRISPR/Cas9(クリスパー・キャス9)」を使って、肥大性心筋症という心臓病の原因となる変異遺伝子を正常な遺伝子に置き換えようとした。彼らは、変異遺伝子を持つ男性の精子を健康な女性から提供された卵子に顕微授精するさい、クリスパー・キャス9のキットと正常遺伝子をいっしょに送り込んだ。その結果できた58個の胚のうち42個がゲノム編集されていたという。ゲノムが編集された細胞とされなかった細胞が1個体の中で混在してしまう「モザイク」という現象が起きた胚は、わずか1個だったとしている。

拡大変異が残りにくくなったと主張するミタリポフらの説明=論文の図をもとに編集部で整理
 この報告通りなら、ミタリポフらの方法は、それまでのヒト胚ゲノム編集実験より成功率も安全性も高いと解釈できる。また非常に興味深いことに、クリスパー・キャス9といっしょに送り込まれた正常遺伝子は使われず、卵子にある正常遺伝子によって修復された可能性があるという。

 しかしエグリらは次のように指摘した。

  1. ミタリポフらは精子由来の変異遺伝子が胚に存在しないことを示しただけで、その遺伝子が修復されたことを示せたわけではない。
  2. クリスパー・キャス9が胚のDNAを大きく削除した可能性がある。
  3. 精子とクリスパー・キャス9が卵子に注入された段階では、精子由来のDNAと卵子由来のDNAは距離が遠すぎて、卵子の正常遺伝子が修復に貢献したとは解釈しにくい。

「削除は見つからなかった」と反論

 今年8月、このエグリらの批判は査読を通って『ネイチャー』で発表された。エグリらは、さまざまな修復結果を区別するために信頼できる解析法が必要だと強調している。同誌にはアデレード大学(オーストラリア)のポール・トーマスらの記事も掲載され、マウスを使った同じような実験でもクリスパー・キャス9が受精卵のDNAに「大規模な削除(large deletions)」をしたとしている。トーマスらは「臨床に応用されれば、悲惨な結果につながる可能性がある」と警告している。ほかにも先月、英国のサンガー研究所のグループがヒト網膜色素細胞などにクリスパー・キャス9でゲノム編集を試みたところ、「大規模な削除」が観察されたと報告した。

 これらの批判に対してミタリポフらは、そうした「大規模な削除」を検出できる方法で胚のDNAを再解析したところ、「削除」は見つからず、ゲノム編集された胚には卵子から転写されたと思われる正常遺伝子が観察された、と反論した。また『ネイチャー・ニュース』などの取材に対して、肥大性心筋症の原因となる別の遺伝子も卵子の正常遺伝子によって修復されたと話した。ただし、新しい正常遺伝子をなぜ胚が受け入れないかはまだわからない、という。

 また、米マサチューセッツ工科大学のグループがマウスの胚を使って実験した結果でも、卵子由来の正常遺伝子が変異遺伝子の置き換えに貢献したことが示されたという。これもミタリポフらの主張を支持するだろう。

再現実験には大量の精子や卵子が必要

 『STAT』『MITテクノロジー・レビュー』のような科学メディアでも、多くの専門家らの賛否両論が紹介された。それらによると、ミタリポフらの新しいデータを知ったエグリは、いくつかの胚についてはミタリポフの主張通りにゲノム編集で遺伝子が修復された可能性があることを認め始めたようだ。

拡大ゲノム編集はどんな危険性をはらんでいるか
 しかし、多くの専門家や科学メディアがより大きな問題として指摘するのは、ミタリポフらの実験を再現することがきわめて困難であることだ。彼らの実験では、数多くの精子や卵子と、それらからつくられた受精卵が使われている。ところが多くの国では、ヒトの精子や卵子、受精卵、胚などの「生殖細胞系」の遺伝子を改変することは、法律などで禁止されているか厳しく規制されている。ミタリポフらと同じ実験をすることはきわめて困難なのだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

粥川準二

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ) サイエンスライター

1969年生まれ、愛知県出身。国士舘大学、明治学院大学、日本大学非常勤講師。「ジャーナリスト」や「社会学者」と呼ばれることも。著書『バイオ化する社会』『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(ともに青土社)など。共訳書『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、山口剛ほか訳、早川書房)など。監修書『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院)。

 

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