変わる世界のプルトニウム政策[2]
2018年09月05日
日本は米国などから「プルトニウムを多く持ちすぎている」と指摘され、「どうやって保有量の47トンを減らすか」に頭を悩ませているが、余剰問題のスケールがさらに大きいのが英国だ。いま、使い道が決まらないプルトニウムを約140トンも抱えている。世界一だ。
ロンドンから北へ約500キロ。観光地・湖水地方の近く、アイリッシュ海を臨む高台に「セラフィールド原子力サイト」がある。面積6平方キロの敷地に軍民の原子力施設が密集し、自動小銃をもつ警備員が巡回している。そのセラフィールドでもソープは最大の施設だ。
ソープは巨大だった。長さは100メートル以上。建設費のかなりの部分を日本が負担したことは有名で、BNFL(英国核燃料公社)のスタッフは「日本の原子力にとって重要な施設」と強調した。
英国議会がソープの建設を許可した78年に、英国内ではこういう議論がなされた。「英国の原発から出る使用済み核燃料は再処理されるべきか?」「イエス」。「ならば、大きな工場をつくり、余分の能力で外国の分を再処理すべきか?」「イエス」。
当時、原子力をやろうとする国はこぞって核燃料サイクルに熱い視線を送っていた。将来、大きな再処理需要が生まれるはずだ。英国もフランスも、いち早く再処理受託をビジネスにしようとしたのである。プルトニウム時代はすぐに到来すると思われていた。
しかし、ソープを取材した92年ごろ、英国の再処理ビジネスへの船出は、すでに揺らいでいた。90年、サッチャー改革の目玉として英国は、国営だった電力部門を民営化・自由化した。しかし、原発の隠れたコストが嫌われ、原発だけが民営化から外された(後に民営化)。92年といえば、政府は不人気になった原子力政策の立て直しに懸命だった。一方、原子力反対派は、その批判を「ソープ反対」のキャンペーンに集中させていた。
英国は高速増殖炉(FBR)の開発でもつまずいた。スコットランド北部ドーンレイに、FBRの原型炉「PFR」を建設し、76年から運転していた。しかし、87年に大事故を起こし、さらにはFBRに経済性のないことも明らかになったことから、94年に廃炉にした。ソープが運転を始めたのは94年。同じ年に英国は、プルトニウムを燃料とするFBRの開発を断念するという、ちぐはぐさが生まれていた。
二度目の取材は2013年の11月。ソープはBNFLではなく、NDA(原子力廃止措置機関)の所属になっていた。核燃サイクルは世界で魅力を失い、再処理で出てくるプルトニウムは「お荷物」になっていた。
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